言い訳~blanc noir~
沙織が亡くなりちょうど5年目の4月。あの日と同じように辞令を受け課長代理へと昇進した。
「おめでとうございます、椎名さん! 34歳で課長代理。出世頭じゃないですか!」
「あと数ヶ月で35歳だよ」
一瞬デジャブだと錯覚しそうなこの会話まであの日と同じだった。
しかしお祭り騒ぎのように和樹の周囲を囲んでいた当時の同僚や後輩たちの顔ぶれが一新していた。佐原は都内の別支店に転勤になり、絵里子の夫である堀田は数年前に単身赴任で福岡に。
そして当時、古賀夏海だった女性行員は椎名夏海に名前が変わった。現在和樹の妻となり専業主婦をしている。
それ以外にも当時和樹と親しくしていた連中は転勤や退職により誰もいなくなった。
あの日の事故を知っている連中は銀行内に数多く残ってはいるが、もう誰もその話題に触れる事もなくなった。
それ以前に銀行内の連中とかつてのように親しい間柄を築こうともせず、和樹自身どこか距離を置いていた。
銀行内での評判はさほど悪いわけではなくむしろ良いほうだ。しかし仕事以外の話、特に結婚生活に関する話題を一切口にしないため、どこか近寄り難い雰囲気を纏っていた。
午前中からスタートした会議が正午を迎える前に終わり、窓の向こうに目を向けると横断歩道が視界に飛び込んできた。
あの日の出来事が一気に頭を駆け巡る。
会議中ぼんやりと聞こえてきた救急車やパトカーのサイレン。会議室を出てすぐに缶コーヒーを買った。そこで夏海に話し掛けられ、そして―――。
携帯電話が鳴り、沙織が事故に巻き込まれたと知った。
沙織の顔全体を覆うように巻かれた包帯。沙織の黒髪にこびりついた血液。おかしな方向に曲がった足首。
どれだけ沙織の名前を呼んでも、どれだけ沙織に触れてもぴくりとも動かず、ただ人形のように眠っているだけだった。
その瞬間、胃をせり上げるような吐き気が襲い和樹は口元を覆った。
「椎名さん、どうしたんですか? 顔色が悪いですよ……?」
部下の大山が和樹の顔を覗き込む。
「ああ、ごめん。大丈夫だよ。ちょっと外の空気吸って来るよ」
もう5年なのか、まだ5年なのか。
心に負った傷は時の流れが癒してくれると誰かが言っていた。
確かにその通りだった。
それがいつの頃からなのかはわからないが、沙織がいない生活にどこか慣れてしまい、こんな腐った毎日でも時間は過ぎてゆく。
目覚めれば仕事に行き、腹が減れば食べ物を口にする。
夏海と初めて関係を持ったあの夜、罪の意識と後悔の念に自分が押し潰されそうになった。あの時ほど死にたいと、消えてなくなりたい、と。そう思った夜はない。
「沙織、俺なにやってるんだろうな……」
運転席のシートを倒し横になった和樹が呟いた。
沙織の最期の手紙となった“今日の手紙”を眺めていると、行き場を失った自己嫌悪が胸の内側で溢れ返り、和樹を苦しめる。
沙織以外の女に口付け、沙織以外の女をこの手で抱く。それに何の抵抗も感じない。
むしろそうする事が自分にとって当たり前になっていた。
久しぶりに息が詰まりそうな胸の苦しみを感じた。
もう消し去ったと思っていたはずの感情が和樹の胸の奥で微かに動く。
「沙織会いたいよ……」
それが叶わぬ願いだとしても口に出さずにはいられなかった―――。
「おめでとうございます、椎名さん! 34歳で課長代理。出世頭じゃないですか!」
「あと数ヶ月で35歳だよ」
一瞬デジャブだと錯覚しそうなこの会話まであの日と同じだった。
しかしお祭り騒ぎのように和樹の周囲を囲んでいた当時の同僚や後輩たちの顔ぶれが一新していた。佐原は都内の別支店に転勤になり、絵里子の夫である堀田は数年前に単身赴任で福岡に。
そして当時、古賀夏海だった女性行員は椎名夏海に名前が変わった。現在和樹の妻となり専業主婦をしている。
それ以外にも当時和樹と親しくしていた連中は転勤や退職により誰もいなくなった。
あの日の事故を知っている連中は銀行内に数多く残ってはいるが、もう誰もその話題に触れる事もなくなった。
それ以前に銀行内の連中とかつてのように親しい間柄を築こうともせず、和樹自身どこか距離を置いていた。
銀行内での評判はさほど悪いわけではなくむしろ良いほうだ。しかし仕事以外の話、特に結婚生活に関する話題を一切口にしないため、どこか近寄り難い雰囲気を纏っていた。
午前中からスタートした会議が正午を迎える前に終わり、窓の向こうに目を向けると横断歩道が視界に飛び込んできた。
あの日の出来事が一気に頭を駆け巡る。
会議中ぼんやりと聞こえてきた救急車やパトカーのサイレン。会議室を出てすぐに缶コーヒーを買った。そこで夏海に話し掛けられ、そして―――。
携帯電話が鳴り、沙織が事故に巻き込まれたと知った。
沙織の顔全体を覆うように巻かれた包帯。沙織の黒髪にこびりついた血液。おかしな方向に曲がった足首。
どれだけ沙織の名前を呼んでも、どれだけ沙織に触れてもぴくりとも動かず、ただ人形のように眠っているだけだった。
その瞬間、胃をせり上げるような吐き気が襲い和樹は口元を覆った。
「椎名さん、どうしたんですか? 顔色が悪いですよ……?」
部下の大山が和樹の顔を覗き込む。
「ああ、ごめん。大丈夫だよ。ちょっと外の空気吸って来るよ」
もう5年なのか、まだ5年なのか。
心に負った傷は時の流れが癒してくれると誰かが言っていた。
確かにその通りだった。
それがいつの頃からなのかはわからないが、沙織がいない生活にどこか慣れてしまい、こんな腐った毎日でも時間は過ぎてゆく。
目覚めれば仕事に行き、腹が減れば食べ物を口にする。
夏海と初めて関係を持ったあの夜、罪の意識と後悔の念に自分が押し潰されそうになった。あの時ほど死にたいと、消えてなくなりたい、と。そう思った夜はない。
「沙織、俺なにやってるんだろうな……」
運転席のシートを倒し横になった和樹が呟いた。
沙織の最期の手紙となった“今日の手紙”を眺めていると、行き場を失った自己嫌悪が胸の内側で溢れ返り、和樹を苦しめる。
沙織以外の女に口付け、沙織以外の女をこの手で抱く。それに何の抵抗も感じない。
むしろそうする事が自分にとって当たり前になっていた。
久しぶりに息が詰まりそうな胸の苦しみを感じた。
もう消し去ったと思っていたはずの感情が和樹の胸の奥で微かに動く。
「沙織会いたいよ……」
それが叶わぬ願いだとしても口に出さずにはいられなかった―――。