言い訳~blanc noir~
 銀行を訪れた千尋はATMの使い方がわからず、メモを片手に途方に暮れていた。たまたまそこに和樹が出くわしてしまったのだ。

 その日は五十日(ごとおび)という事もあり給料日の企業が多い。銀行内は順番待ちの客でごった返していた。

 ATMを主に担当する案内員も他の客の対応に追われ、仕方なく声を掛けた事がきっかけとなった。

 ATMの操作方法がわからないと混乱する客は少なくはない。

 しかし、しっかりとした受け答えができ、なおかつ、見るからに身なりの良い若い女性がATMの操作方法に悩む姿はおかしな言い方だが新鮮に思えた。

 その数日後、同僚から「椎名さんにお客様です」と声を掛けられ1階へ行くと千尋が立っていた。勿論その顔を覚えていた。

 社交辞令のような挨拶を交わしにこやかに対応した。


 すると全く予想もしていなかった言葉を千尋から告げられたのだ。


「一目惚れしてしまいました」


 雷を打たれたかのような衝撃に言葉が全く出て来なかった。

 これまでにも何度かいわゆる告白というものを受けた経験はある。しかしこのような形で突然前触れもなく、素性さえわからない女から告白を受けた経験はない。


「あ、あの。お気持ちは嬉しいのですが……」


「突然申し訳ございません。もし良かったらお電話ください」


 そう言って千尋から名刺を手渡された。その名刺に目を向けると目を疑った。


「あの、失礼ですがお父様のお名前は……」


「丸和銀行様には父がいつもお世話になっております。五十嵐 雅夫の娘、千尋と申します」


―――これはどういう事なんだ。

 ごく普通に生活をしていれば出会うきっかけなど、まずないような家柄の女から好意を抱かれた。しかも、一目惚れという一方的な形で。

 勿論、無碍にする理由が和樹にはなかった。

 見知らぬ土地で生活を送るなか、何の目的もなく、ただ惰性で生きているだけだった。千尋への感情は何も芽生えなかったが、彼女が持つバックグラウンドに惹かれたのは事実だ。

 銀行員としての意欲も失せていた事、日々の暮らしに辟易していた事もあり、深く考えもせず流されるように千尋との付き合いが始まり、あっという間に婚約まで話が進んだ。


―――俺の人生は何があるかわからないらしい。
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