言い訳~blanc noir~
 和樹の声が響いた。

 沙織はその言葉に耳を疑う。


「ご主人様……?」


「服、脱げよ」


 優しげな眼差しも、穏やかな笑みもない。和樹の突き刺すような鋭い視線に沙織は言葉を失う。

 足がすくみそうになりながらも従うしかなかった。


 震える指先でブラウスのボタンを外す。スカートの中に両手を差し入れタイツを脱ぎ捨てる。スカートのファスナーを引くとスカートが床に落ちる。


 下着姿だけとなった沙織は怯えた表情でその場に立ち尽くす。


 煙草を灰皿に押し付けた和樹が立ちあがると沙織に近付き強引に唇を塞いだ。


「……っ」小さく抵抗するが自由を奪うようにベッドに押し倒された。



「ご主人様……」


 沙織の言葉を遮るように和樹の手のひらが口を覆う。


「沙織は俺のものだろ?」


 口を覆った手のひらの隙間から沙織のくぐもった声が漏れる。

 驚き、恐れ、まるで泣き出す前の子供のように沙織は顔を歪めていた。



 普段ならガラス細工を扱うように優しく優しく髪を撫で、惜しみない愛情をキスで与えてくれる。そんなに大切に扱わなくても大丈夫だから、と、もどかしくなる事さえあった。

 快楽だけではないセックス、それを教えてくれたのも和樹だった。

 なのに今、沙織の瞳に映る和樹はとても威圧的で、僅かな抵抗さえ許さないほど強い支配欲に満ちている。

 和樹が与えてくれる穏やかな温もりに身を委ねながら、愛されている事の安心感に陶酔していた。


 和樹を愛している。心の底から大切な人だといつの日もそう思っている。

 そう思いながらも変化をつける事が怖かった。踏み出す事が怖かった。


―――これでいいの? 本当にこれでいいの?


 暗闇のような生活から抜け出したいと思うくせに、幼い頃から積み重ねてきた孤独感と恐怖心が沙織の足枷となる。

 怖い。一人になる事が怖い。置き去りにされる事が怖い。見捨てられる事が怖い。

―――私を置いて行かないで。いい子になるから。お母さん行かないで。どれだけ泣いてもどれだけ訴えても母は帰って来なかった。


 私は捨てられたんだ、と、幼いなりにも沙織はその意味を知った。


 暗い家。何時に帰って来たのかさえわからない父親との二人暮らし。一人でご飯を食べる事も一人でお風呂に入る事も一人で寝る事も、寂しくて、心細くて、一人が怖かった。

 だけど父が笑えば嬉しかった。


―――ねえ、お父さん、沙織の事好き?


 そう訊けば「大好きだよ」と父は目を細め、大きな手で頭を撫でてくれた。それだけで安心した。私にはお父さんがいる。大丈夫。お父さんはお母さんみたいに私を捨てたりしない。


―――なのに、私はお父さんに捨てられた。ゴミのように。捨てられた。


「沙織より大好きな人が出来たんだって」そう意地悪な叔母に言われた。


―――どうして? なんで? 何がいけなかった? 私ずっとお利口さんにしてたよね? どうして? どうして? どうして?
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