言い訳~blanc noir~
 結婚したら幸せになれると信じて疑わなかった。もうこれで一人ぼっちになる事はないと信じていた。

 美容師を辞め、ひろ君の仕事の帰りを待ちながら家で洗濯をして、掃除機をかけて、ご飯を作りながら待つ毎日が幸せだった。

 1年過ぎ、2年過ぎ、3年が過ぎた頃、ひろ君は突然仕事を辞めた。

 そして夜の世界で仕事すると言いだした。

「月50万は稼げるから。お金貯めて結婚式しよう」とひろ君は言った。

 だけど朝方酔っぱらって帰って来て昼過ぎに起きる。ひっきりなしに鳴る携帯電話。知らない女がひろ君を「リョウ」と呼び捨てる。

 何かが壊れ始めた。何かが狂い始めた。不安がよぎる。

―――また私は一人ぼっちになるんじゃないか、と。


「結婚式なんかしなくていいから夜辞めて」ひろ君にそう訴えたら突然殴られた。

 髪の毛を鷲掴みにされて、部屋の壁に叩きつけられた。箪笥の上に置いてあった写真立てが粉々に割れその破片で手を切った。

 真っ赤な血が指の間を流れ落ちる。

 どうして痛い事するの? どうしてひろ君は叩くの? 殴るの? 蹴るの?


「お前の不幸顔がまじむかつく」


―――ひろ君がおかしくなった。荷物をまとめて家を出て行こうとする。一人にしないって約束してくれたのに。


「私の事捨てたりしないって約束したじゃない」


「うるせえ。きもいから近寄るな」


 どうして……? どうしてみんな私を捨ててどこかに行っちゃうの?

 ある日アパートの片隅に小さな黒猫の赤ちゃんが捨てられていた。


「……一人ぼっちなの?」


 みゃぁみゃぁ。

 その黒い毛玉のような赤ちゃん猫を手のひらに乗せると涙が出てきた。


「一人ぼっち嫌だね。寂しいよね」


 その黒猫にクロと名付けた。クロだけが友達になってくれた。

―――クロだけは私を見捨てたりしない、裏切ったりしない。

 ひろ君は気が向くと帰って来る。殴ったり蹴ったりする日もあったけれど、優しい日もあった。

「沙織ごめん」と泣きながら謝る日もあった。


 だけどまたしばらく帰って来ない。帰って来たら乱暴に服を脱がされ、無理やり抱かれた。

 痛くて怖くて、だけど、それでもひろ君に抱かれている時だけはほんの少しだけ幸せだった。

 あの頃のようにいつか戻れるんじゃないかとどこかで期待していた。


 だけどひろ君にとって私は―――

 粗大ゴミだと言われた。


 粗大ゴミは粗大ゴミなりに需要があるから、系列店の風俗で働けとひろ君に言われた。

 それだけは嫌だと訴えたらまた殴られた。


「競馬で負けたから金がない。夫婦なんだから働けよ。お前は体しか取り得がねえんだから」

 そう言いながらお茶碗を投げつけられた。割れた破片が手に突き刺さり、いつかのように真っ赤な血が流れ出した。


 クロが怯えている。ひろ君がクロを踏みつけた。クロを守らなきゃ。クロを抱え玄関に向かった。


「出ていけこら!!」


 クロを抱えたまま後ろから外に突き飛ばされてしまった。
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