恋?…私次第。~好きなのは私なんです~
・プロローグ
「…はぁ。こんな事、言ってる場合じゃないのかも知れないが…綺麗なものですねぇ。それに…今夜は…実に儚い…」
「え?あ、はい…そうですね。もう…、終わりですね」
二人で見上げた先には大きく張り出した桜の枝があった。
満開を迎えた桜は、昨日の雨に打たれ、今夜は時折吹く強い夜風に枝を震わせていた。
大きな樹の遥か先に、満月が滲むように輝いていた。
何だか、思わぬお花見が出来た…。この状況でお花見なんて表現は不謹慎かな…。
「…情緒、…風情があるというのですかね、夜桜というモノは、綺麗で…少しせつない気持ちになりますね」
はらはらと舞い落ちてくる花弁に手を伸ばしてみた。…あ。掌を掠めた。上手くは乗らないモノだ。…フフ。
「んー、今夜は特にかな~、風に舞う花弁…。あっ、つー…痛…。んー、潤んだ月が何ともいいですねぇ。あ、痛…はぁ。ハハ…はぁ」
「あっ、大丈夫ですか?…痛いですよね、熱も持ってるみたいです…あの…元気、出してくださいね」
元気出してなんて…簡単には無理よね。…笑ったから余計痛かったんだ。
溜め息をつき、力なく腰かけていた隣の男性の顔に、思わずまた手を伸ばした。頬に触れてみた。…熱い。
濡らして当てた口元のハンカチが何とも痛々しい。
「あ。ええ、ええまあ、このくらい…大したことない、と言いたいところですが…痛いのは身体もですが、精神的にも痛いかな、ハハハ。あ、痛っ、ハハ」
こんな状況で普通、笑って居られないでしょうに…。でも、もう笑うしかないのかも…。頬、腫れないだろうか。もっと冷やせるといいのだけれど。
「あ、笑うと、また…。フフ、ですよね?あ、ごめんなさい、私…笑ったりして。心情もお察ししないような事…」
痛みを堪えるようになるべくゆっくり話しているようなのに、つい…気にしない素振りで笑っちゃうから…。
風が止み、綿雪のように舞い落ちて来る花びらに目を向けながら、また桜の樹を仰いだ。動かずに居たら花びらに埋もれてしまうかも知れない、なんて、大袈裟かな。
「いや~、それは大丈夫です。しかし、お恥ずかしい限りだ。こんな…みっともないところを女性に見られてしまうなんて、情けないですよ。その上…こんな事まで…貴女にはご迷惑をお掛け致しましたね、厄介なところに出くわせてしまって…」
大した事はしていない。痛々しそうな様子を見てしまっては、そのままでは居られなかっただけ…。
「いいえ、私は特には何も。…ただ、コラーッて、かなり経ってから叫んだだけですから。でも、このくらいで済んで良かったと思いますよ?
立てます?そろそろ交番に行きましょうか。被害届、出されますよね?」
怖くて傍観してしまったし…。
「はぁ、…情けないけど、仕方ないですね。行きます。あ、すみません、有り難う。…痛、た、と」
腰を上げた男性の腕を掴んで立ち上がるのを補助した。辛そうではあるが、特に自力で立てないという程でも無さそうだ。
「いいえ。…こんな言い方をしてはなんですが…多分、お金は戻って来ないと思いますけど。あ、ゆっくり、行きましょう」
「すみません…。そうですね、まず無理でしょうね。…はぁ、まさか自分がオヤジ狩りに遭うなんて、思ってもみなかった…甘いですよね」
「そんな事…。ここは付近よりちょっと暗い場所です。昼間は静かでいい場所でしょうが、人気の少ない夜だから、多分、公園に入ったところ、目を付けられたのかも知れませんね。もしかしたら、かなり前から後をつけられていたのかも…」
「はぁ。土地勘があまりないところだったから、つい、黙々と、ここを抜けると近道になるだろうと、そればかりで…。後ろなんか気にしてなかったし、夜なのに警戒が足りなかったなあ…。迂闊でした」
ベンチから立ち上がり歩き出した男性の背に、軽く触れる程度に手を貸した。
私は大袈裟に首を振って見せた。
「普段、事件のニュースを観たからって、誰だって自分が襲われるなんて思ってないですから。この程度で済んで良かったと思うしかないですね。もっと…バットで殴られて骨折とか、ボコボコに殴られて酷い状態にされる人も居るから…そう思えば…まだ」
「悔やんでも仕方ないけど、不意に後ろから蹴られて…。膝を付きそうになるのを堪えていたら、あっという間に…なす術もなかった…。はぁ、本当に不甲斐ないし、思い出すと腹立たしい。…本当はちょっと強いんですよ?私」
あ、そういう風に言いたくなる心情なのかも。
何となくだろう。立ち止まり振り返ると、また、桜を仰いだ。改めて並んでみて解かった。暗くなかったら、これ程上背のある人…、襲われなかったのかも知れないけど。…解らないわね。ある程度お金を持ってそうな人を狙うだろうし。この男性の身なりは元はキチンとしているし…それに、自分達は人数で勝ってる訳だし…。相手が大きな人でも問題ないと思ったんだ。…はぁ…卑怯よね、する事が。
「…卑怯です。…あ、さあ、行きましょう?明日になったら、身体、もっと痛いところが出て来ると思いますよ。念の為、後で病院に行きましょう」
「蹴られた、殴られたところは解っています。…まあ、痛いのは打撲ですよ」
まるで慣れてるから平気だと言っているように聞こえる。大した事無いって、行かないつもりだろうか。それは駄目。歩き始めた。
「かも知れませんが、ひびが入っているかも知れないし。解らないですから。取り敢えず交番に行って、それからですね。打撲だけだとしても時間が経てば痛みも増してきますから…。それに脅す訳ではありませんが、思わぬ損傷で後で命を落とす事もありますから。軽く考えては駄目です。内臓の事は解りません、検査はしておいた方がご家族も安心ですよ?」
「…そうですね。アタタ…確かに。身体は色々…痛いかな」
「でしょ?あ、ごめんなさい、でしょなんて馴れ馴れしく言って」
「…大丈夫ですよ、お気になさらず。…とんだ花見になりましたが…思いもよらない…いきなり胸がせつない花見になりました…」
「え?…」
「え、あっ、行きましょうか。えっと、こっちでいいのかな?」
「はい、こっちから出ましょう」
こっちから出るのが一番交番に近いと思う。
一定間隔である灯りを頼りに、南口からゆっくりと公園を出た。
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