キミに嘘を吐く日
最初に印象的な場面があって、引きずられるように本の世界に入り込むのも好きだけど、ゆっくりゆっくりと踏み入って、いつのまにか深く、染み込むようにその世界観に魅了されていくのも好き。

そのどちらも、読み込むためには時間も場所も必要で。

今日はそのどちらも理想的に揃っていた。

幸せな時間が過ごせそうで嬉しくなる。

ペラリ、ペラリ、と自分が捲る紙の音だけが鼓膜を震わせ、じわりじわりと本の世界に浸食していった。

気付くと本に影ができていて、何の気なしに顔を上げると、目の前にはさっきまではいなかったはずの前の席に誰かが座ってこちらを見ていた。


「……え、」

「……すごい集中力、だな」


驚きと呆れを含んだ声音。


「……」


驚きのあまり言葉が出なかった。

と、同時に目の前にある人物が、確かに知っているはずなのに名前がとっさに出てこない。


「分かる?俺のこと」


まるで私の心を読んだみたいに、その誰かが聞いてくる。

知らない。

と、答えるにはあまりにも失礼なことだと分かっていた。

だって、一応クラスメイトだし。

終業式が終わっていないから、現在進行形のクラスメイトの名前を忘れただなんて、言えるわけない。


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