口づけは秘蜜の味
特に異常もなく医師から帰って良いと言われたので
手続きをしてくるね、とサヤに言い渡してから
病室から離れて薄暗い廊下を進むと

「二度と来ないでください、帰りませんから私…」

そんな台詞が聞こえて


受付のすぐ近くの廊下で長いキレイな黒髪の女性から花束を突き返された男の人が呆然と立ち尽くしていた

背の高い、スラリとした長い脚、広い背中が薄暗い中で見えた


やがて私が歩く靴音に気付いたのか、男性がゆっくりと振り向いてこちらを見る

(え……)


「坂下…」

「か、神上部長…」

そこに居たのは私の憧れの上司

………神上さんだった




「こんばんは……」

「ああ………こんばんは」

なんと言っていいやら…とりあえず挨拶だけをしてみたが

気まずい空気が流れる

「情けない所を見られたな…」

「あ、いえ………」

ここは何も言わないほうが良いだろう。

「迎えに来たんだが……帰ってきてはくれないらしい…」

そんな小さな呟きも聞こえないふりをした



クールな冷徹部長として
社内ではいつも顔色一つ変わらない人が

あんな風に女性に拒否されているなんて…

しかも花束と共に投げられていたのは

銀色のダイヤモンドが輝くシンプルなデザインの指輪だったように見えた

(婚約指輪…だよね……婚約者?……なのかな?)

確か神上さんは独身だった筈……

ますます見せたくない場面だったろう…

ましてや直属の部下の私には…
< 8 / 49 >

この作品をシェア

pagetop