あの日の帰り道、きっとずっと覚えてる。
三時間目。
体育の授業だった。
私の義足は運動するにはむかないらしく、無理はするなと言われていた。
学校の先生にも許可を得ていたし、体操服に着替えて見学の予定だった。
女子が更衣室へと向かう。
私も紛れてついていった。
女子がきゃあきゃあと騒ぎながら着替える。
私は、一人端の方でコソコソと着替えていた。
昨日と似たような長ズボンから、半ズボンに履き替えた時。
「え!?どうしたん!?その脚!」
一人が私の脚に指を差して叫んだ。
「え…気持ちわるっ!」
……え?
気持ち…悪い…?
「ほんまや」
「え、なんで?」
「岸元さんって片脚ないんや」
ザワザワと私の方を見て騒ぎ出した。
「いや…ちがっ…」
怖かった。
怖くて反論できなかった。
脚がないのは事実。
私も初めは、そんな自分の脚が気持ち悪いと思ったことだってある。
でも…。
「そういや、福島から来たってゆうてなかった?」
「え、まさか汚染されたん!?」
「だから脚なくなったんちゃうん!」
「「ええ!」」
汚染…。
私が眠っている間に、福島にある原子力発電所が地震と津波によって大きな被害を受けた。
事故当時、運転中であった一号機から三号機は地震により運転を停止。
その後の津波によって、冷却機能を失うことで燃料が溶け、大量の水素が発生した。
その結果一号機、三号機、四号機の建屋が水素爆発を起こし、放射性物質が放出されたのだ。
汚染は国内外に広がったそう。
でも私は、決してその影響を受けて脚を失ったのではない。
悲惨な状態だったと医者から聞いた。
それに、福島に住んでいる人全てが汚染されているわけがない。