あの日の帰り道、きっとずっと覚えてる。


マンションの入口はガラス張りになっていて、中の光が煌々と外へ漏れている。

辺りは、虫の音も聞こえぬほど静まり返っており、その場に立っているのも落ち着かない。

そっと手の内にある紙袋の中を確かめた。


ああ。今夜。
やっと君の隣に立てる。
ずっと見上げてきた。
ずっと見つめてきた。
届かぬはずのベランダに手を伸ばし。
君が出てくる瞬間を、まだかまだかと待ち続けた。

変わらぬ日々に君が現れた。
特別面白くも、つまらなくもない平凡な俺の世界が、一瞬で光を放ち始めた。
美しい色をつける歌声に惹かれた。
こんなにも近づきたいと。
こんなにも会いたいと。
君に出会って、初めてそう思えたんだ。

でも君は、自分のことを話さない。
どこか寂しい顔をして。
はぐらかして。

その原因は何なのかと。
その傷に触れたいと思った。
触れた傷を癒したいと思った。

だからずっと。隣に立ちたかったんだ。



ガラスの向こうに人影が映る。
それが君であると、どこかで確信していた。


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