あの日の帰り道、きっとずっと覚えてる。
原発いじめ
本格的なリハビリを始めるのが遅く、一ヶ月も眠っていて筋力の劣っていた私は、一般的なリハビリ期間よりも長く続けていた。
義足も合う合わないを繰り返し、ようやく出会えた第二の脚。
初めて知った。自分の足で歩ける幸せ。
失ってたくさん気付いた。
たくさん知った。
この脚を好きになるには大層な時間が必要だろう。
たまに夢をみるあの光景。
その度に血色のない銀色の脚を叩いた。
ただ、もう一度立てたこと、歩けたことに感謝はした。
やっと退院することができ、大阪に移った頃には、もうあの日から一年が経っていた。
四月から五年生。
病院で四年生の分の勉強はたくさんした。
四年生になれなかったとわかった時、悔しくて泣いたりもした。
それでも、頑張ろうと思った。
その時は前を向いていた。
転校先で、学校で再び頑張ろう、と。
そう心に誓っていた。