料理研究家の婚約レッスン
碧惟の想い★
碧惟は、目の前で唖然としている女を観察した。
涙がにじんで下まぶたは腫れ、その下の頬はだらしなく膨らんでいる。肌は化粧が浮いているし、体もたるんでいる。
瞳はまん丸に見開き、口も少し開いている。さっきまでのマシンガントークは影をひそめたようで、初めに来たときのような鈍くささに戻っていた。
碧惟の周りにはいなかった、端的に言って苦手なタイプだ。
こんな様子では、碧惟に結婚の良さをわからせるなんて、到底できないだろう。
朝はろくな説明もできず、いかにも借りてきた猫という体たらくでしどろもどろしていた女が、急にやる気を見せたから、その努力を買って少しは譲歩してやるかと思ったのだが、早計だったようだ。
「それで? どうするんだ」
「ど、どうって?」
「どうやって、俺に結婚させるんだよ?」
「え、本当に結婚しなくてもいいんですよ」
「……そんなことはわかってる」
ムッとしたのを隠さずにいると、梓はビクリと肩をすくませた。ますます気に入らない。
「だから……そうだな。結婚の良さってなんだよ?」
「えっと、例えば……一緒に住めること?」
(なんで、おまえが疑問形なんだ)
碧惟を説得したのが嘘のように、自信のない姿に戻っている。
「一緒に住むことねぇ……」
関心のないようにつぶやいたが、ほんの少し引っかかるものがあった。
確かに、同居人がいるといないでは違う。全然違う。それを最近、実感していたところだ。
『……誰かに、ずっと傍にいてほしいと思ったこと、ないんですか。いなくなって寂しいと思ったこと、ないんですか』
梓の台詞が蘇る。あのとき初めて、梓の話を少しは「わかる」と思ったのだ。
好感触を感じ取ったのか、梓は期待するようにこちらを見上げている。
そうやって一所懸命に見つめられるのは、悪くない。容姿や生まれもあって、注目を集めてきた人生だ。
かといって、崇められたからって、なんでも応じてやるほどお人好しでもない。
同居だけで結婚に結びつけるのは拙速すぎる。同居するだけなら、同棲だってルームシェアだっていいはずだ。
しかし、梓はそのさきを説明する気もないようで、ただ黙って碧惟を待っている。自分の企画を通してやろうという人間の態度ではない。
意地悪い気持ちが湧いてきた。
「それじゃ、おまえと俺も一緒に住むのか?」
「まさか! そんなことまでするはずないでしょう!? 第一、先生だって嫌でしょうに」
「さあね。来たけりゃ来れば」
完全にからかってそう告げた碧惟に、梓は明らかに憤慨し、しかしそれをこらえて暇を告げた。
だから、翌日スーツケースを転がして、碧惟の家に3度目の訪問を果たした梓に、碧惟は純粋に驚いた。
「本当に来たのか」
「来たけりゃ来ればと言われましたから! ……本当にここに住んじゃいますよ?」
「そうしたかったら、すればいい」
当然断られるのかと思っていたのか、梓はまたポカンとした顔をした。
その締りのない表情に、碧惟は内心吹き出す。
思ったより根性があると思って受け入れてみれば、それさえ予想していなかったように、反応一つできずにいる。
よく言えば素直。悪く言えば考えが足りない役立たず。
「入れ。おまえから来たんだろ。今さら逃げ帰るなよ」
「わ、わかってますよ!」
そうして碧惟は、梓と同居することになった。
涙がにじんで下まぶたは腫れ、その下の頬はだらしなく膨らんでいる。肌は化粧が浮いているし、体もたるんでいる。
瞳はまん丸に見開き、口も少し開いている。さっきまでのマシンガントークは影をひそめたようで、初めに来たときのような鈍くささに戻っていた。
碧惟の周りにはいなかった、端的に言って苦手なタイプだ。
こんな様子では、碧惟に結婚の良さをわからせるなんて、到底できないだろう。
朝はろくな説明もできず、いかにも借りてきた猫という体たらくでしどろもどろしていた女が、急にやる気を見せたから、その努力を買って少しは譲歩してやるかと思ったのだが、早計だったようだ。
「それで? どうするんだ」
「ど、どうって?」
「どうやって、俺に結婚させるんだよ?」
「え、本当に結婚しなくてもいいんですよ」
「……そんなことはわかってる」
ムッとしたのを隠さずにいると、梓はビクリと肩をすくませた。ますます気に入らない。
「だから……そうだな。結婚の良さってなんだよ?」
「えっと、例えば……一緒に住めること?」
(なんで、おまえが疑問形なんだ)
碧惟を説得したのが嘘のように、自信のない姿に戻っている。
「一緒に住むことねぇ……」
関心のないようにつぶやいたが、ほんの少し引っかかるものがあった。
確かに、同居人がいるといないでは違う。全然違う。それを最近、実感していたところだ。
『……誰かに、ずっと傍にいてほしいと思ったこと、ないんですか。いなくなって寂しいと思ったこと、ないんですか』
梓の台詞が蘇る。あのとき初めて、梓の話を少しは「わかる」と思ったのだ。
好感触を感じ取ったのか、梓は期待するようにこちらを見上げている。
そうやって一所懸命に見つめられるのは、悪くない。容姿や生まれもあって、注目を集めてきた人生だ。
かといって、崇められたからって、なんでも応じてやるほどお人好しでもない。
同居だけで結婚に結びつけるのは拙速すぎる。同居するだけなら、同棲だってルームシェアだっていいはずだ。
しかし、梓はそのさきを説明する気もないようで、ただ黙って碧惟を待っている。自分の企画を通してやろうという人間の態度ではない。
意地悪い気持ちが湧いてきた。
「それじゃ、おまえと俺も一緒に住むのか?」
「まさか! そんなことまでするはずないでしょう!? 第一、先生だって嫌でしょうに」
「さあね。来たけりゃ来れば」
完全にからかってそう告げた碧惟に、梓は明らかに憤慨し、しかしそれをこらえて暇を告げた。
だから、翌日スーツケースを転がして、碧惟の家に3度目の訪問を果たした梓に、碧惟は純粋に驚いた。
「本当に来たのか」
「来たけりゃ来ればと言われましたから! ……本当にここに住んじゃいますよ?」
「そうしたかったら、すればいい」
当然断られるのかと思っていたのか、梓はまたポカンとした顔をした。
その締りのない表情に、碧惟は内心吹き出す。
思ったより根性があると思って受け入れてみれば、それさえ予想していなかったように、反応一つできずにいる。
よく言えば素直。悪く言えば考えが足りない役立たず。
「入れ。おまえから来たんだろ。今さら逃げ帰るなよ」
「わ、わかってますよ!」
そうして碧惟は、梓と同居することになった。