料理研究家の婚約レッスン
昨日通してもらったキッチンは廊下を左に曲がったが、碧惟はそこまで行かず、突き当たりのドアを開けた。
「この部屋を使えよ」
初めに、大きな窓が見えた。落ち着いた明るいブルーの厚手のカーテンと白のレースのカーテンが束ねられている。
広い洋室だった。10畳以上あるのは確かだと思うのだが、梓には一見して具体的な広さまではわからない。実家にあるどの部屋よりも大きいのは、確実だった。
碧惟に続いて部屋に入る。シンプルだがハイセンスな部屋に、梓はひと目で心を奪われた。
壁紙は白で、一面だけ淡いブルーグレーが使われている。脚の曲線が優美なラウンドテーブルと揃いの椅子が二脚、それからベッドがあるだけの部屋だった。大きなクローゼットがついているので、収納は困らなそうだ。
ベッドにリネン類は装着されていない。それに気づいた碧惟がクローゼットを開け、まだパッケージに入ったままの新品のシーツなどを出してくれた。
突然押しかけたにしては、驚くほどの高待遇だ。
それはありがたいが――。
梓は、思わず碧惟を見上げる。
「……ここで、わたしは寝るんでしょうか」
「気に入らないかもしれないが、おまえが寝る場所は、今日はここしか用意できない」
部屋自体は、文句のつけようがない。
碧惟の一人暮らしとあって、昨日入ったキッチンのような整然とした部屋か、男性らしいインテリアを想像していたが、この部屋は温かい雰囲気で居心地が良さそうだ。
だが、問題はそこではない。ベッドだ。
分厚いマットレスの敷かれたベッドは、ダブルベッドだった。
勇んで碧惟の家にやって来たものの、どうせその場で追い返されるだろうと踏んでいた梓は、何の覚悟もできていない。
まさか、同じベッドで寝るのだろうか。本当に結婚したわけでも、ましてや恋人でもないのに?
ソファでも借りれば良いのだと思っていたが、新しいシーツまで用意してくれて、碧惟は梓をここで寝かせるつもりだと言う。
しかし、さすがにそこまでするつもりはない。
無言で悩み始めた梓を置いて、碧惟はいったん部屋を出る。
「トイレは、こっち」
梓も慌てて後に続き、家の中を案内してもらった。
部屋と玄関の間にあるのがトイレ、キッチンの手前にあるのが洗面所、その他には昨日入ったキッチンだけのシンプルな造りだった。
キッチンは、スタジオとして撮影や料理教室に使うらしい。奥には、応接スペースもあった。
「あの……お風呂とかは?」
「それは、こっち」
碧惟は来た道を逆戻りし、玄関で靴を履いた。呆気に取られる梓を置いて、さっさと出て行ってしまう。
慌てて追いかけると、102号室の隣の角部屋、101号室のドアを開けていた。
「ほら、早く」
101号室は、102号室と左右対称になっているようで、玄関を入って左手にトイレ、右手に洗面所がある。その隣に、101号室にはなかったバスルームがあった。
「風呂は、ここを使え」
「……はい。ありがとうございます」
不思議に思いながらも、従うしかない。
「向こうは、スタジオ用の部屋なんだ。おまえの部屋以外、不要なものは全部取っ払って、スタジオに使ってる」
キッチンスタジオを作るために、リフォームしたらしい。それなら、バスルームがないのも納得だ。
一方、101号室のキッチンは、家庭用のものだった。
ただし、案の定とても広い。その上、ダイニング、リビングと続きになっているので、さらに広く感じる。
しかし、機能的な分、無機質にも感じたスタジオより生活感が感じられた。
碧惟はここで生活しているのだろうか。
対面カウンターのキッチン、その前にはダークブラウンのダイニングテーブル。セットの椅子は、黒が差し色になっている。
壁側には、大きなテレビと、黒のソファセット。シーリングライトを始めとしたインテリアも、黒とダークブラウンで統一されていた。いかにも男のひとり暮らしという感じがする。
それでも、二面を窓で囲まれているせいか、暗さはまったく感じない。シックにまとめられたアーバンテイストの部屋だった。
梓にと与えられた部屋とは、印象が大きく異なる。梓の部屋は、エレガントで女性的だった。
「ほかに2部屋ある」
リビングの隣の少し小さめの洋室は、書斎に使っているらしい。チラリと見せてもらうと、書棚とライティングデスクが見えた。
最後に102号室側の部屋を開ける。
「ここが俺の部屋」
入っていいものかと迷ったが、碧惟はためらいなく梓を招く。
「あっ……ベッドがある」
思わず口にしてしまった梓に、碧惟は首をかしげる。
「……ああ。まさか、一緒に寝るつもりだった?」
「いえ!」
ニヤリとした碧惟に向かって、思い切り首を振る。
これで、納得がいった。広い家だから、梓が来ても困らないのだろうとは思っていたが、寝室もきちんと別に、それどころかマンションの部屋ごと別に用意できる環境があったから、碧惟はためらわなかったのだ。
「えっと……いったん荷物を片づけようと思うので、自分の部屋に戻りますね」
ホッとした梓は、とりあえず一人になって落ち着きたくなった。
いくら居心地が良さそうでも、人生で初めて入るような豪華な部屋、それも男の一人暮らしの生活空間に緊張しっぱなしだったのだ。
玄関に戻ろうとする梓を、碧惟が引き止めた。親指を立てて、クイッと梓を招く。
「おい、こっちだ」
「なんですか?」
まだ部屋があったのだろうか。
碧惟は、寝室の中へと入り、奥の扉を開く。
「ここから帰ればいい」
「……えっ!?」
碧惟の寝室と梓の寝室は、扉ひとつでつながっていた。
「この部屋を使えよ」
初めに、大きな窓が見えた。落ち着いた明るいブルーの厚手のカーテンと白のレースのカーテンが束ねられている。
広い洋室だった。10畳以上あるのは確かだと思うのだが、梓には一見して具体的な広さまではわからない。実家にあるどの部屋よりも大きいのは、確実だった。
碧惟に続いて部屋に入る。シンプルだがハイセンスな部屋に、梓はひと目で心を奪われた。
壁紙は白で、一面だけ淡いブルーグレーが使われている。脚の曲線が優美なラウンドテーブルと揃いの椅子が二脚、それからベッドがあるだけの部屋だった。大きなクローゼットがついているので、収納は困らなそうだ。
ベッドにリネン類は装着されていない。それに気づいた碧惟がクローゼットを開け、まだパッケージに入ったままの新品のシーツなどを出してくれた。
突然押しかけたにしては、驚くほどの高待遇だ。
それはありがたいが――。
梓は、思わず碧惟を見上げる。
「……ここで、わたしは寝るんでしょうか」
「気に入らないかもしれないが、おまえが寝る場所は、今日はここしか用意できない」
部屋自体は、文句のつけようがない。
碧惟の一人暮らしとあって、昨日入ったキッチンのような整然とした部屋か、男性らしいインテリアを想像していたが、この部屋は温かい雰囲気で居心地が良さそうだ。
だが、問題はそこではない。ベッドだ。
分厚いマットレスの敷かれたベッドは、ダブルベッドだった。
勇んで碧惟の家にやって来たものの、どうせその場で追い返されるだろうと踏んでいた梓は、何の覚悟もできていない。
まさか、同じベッドで寝るのだろうか。本当に結婚したわけでも、ましてや恋人でもないのに?
ソファでも借りれば良いのだと思っていたが、新しいシーツまで用意してくれて、碧惟は梓をここで寝かせるつもりだと言う。
しかし、さすがにそこまでするつもりはない。
無言で悩み始めた梓を置いて、碧惟はいったん部屋を出る。
「トイレは、こっち」
梓も慌てて後に続き、家の中を案内してもらった。
部屋と玄関の間にあるのがトイレ、キッチンの手前にあるのが洗面所、その他には昨日入ったキッチンだけのシンプルな造りだった。
キッチンは、スタジオとして撮影や料理教室に使うらしい。奥には、応接スペースもあった。
「あの……お風呂とかは?」
「それは、こっち」
碧惟は来た道を逆戻りし、玄関で靴を履いた。呆気に取られる梓を置いて、さっさと出て行ってしまう。
慌てて追いかけると、102号室の隣の角部屋、101号室のドアを開けていた。
「ほら、早く」
101号室は、102号室と左右対称になっているようで、玄関を入って左手にトイレ、右手に洗面所がある。その隣に、101号室にはなかったバスルームがあった。
「風呂は、ここを使え」
「……はい。ありがとうございます」
不思議に思いながらも、従うしかない。
「向こうは、スタジオ用の部屋なんだ。おまえの部屋以外、不要なものは全部取っ払って、スタジオに使ってる」
キッチンスタジオを作るために、リフォームしたらしい。それなら、バスルームがないのも納得だ。
一方、101号室のキッチンは、家庭用のものだった。
ただし、案の定とても広い。その上、ダイニング、リビングと続きになっているので、さらに広く感じる。
しかし、機能的な分、無機質にも感じたスタジオより生活感が感じられた。
碧惟はここで生活しているのだろうか。
対面カウンターのキッチン、その前にはダークブラウンのダイニングテーブル。セットの椅子は、黒が差し色になっている。
壁側には、大きなテレビと、黒のソファセット。シーリングライトを始めとしたインテリアも、黒とダークブラウンで統一されていた。いかにも男のひとり暮らしという感じがする。
それでも、二面を窓で囲まれているせいか、暗さはまったく感じない。シックにまとめられたアーバンテイストの部屋だった。
梓にと与えられた部屋とは、印象が大きく異なる。梓の部屋は、エレガントで女性的だった。
「ほかに2部屋ある」
リビングの隣の少し小さめの洋室は、書斎に使っているらしい。チラリと見せてもらうと、書棚とライティングデスクが見えた。
最後に102号室側の部屋を開ける。
「ここが俺の部屋」
入っていいものかと迷ったが、碧惟はためらいなく梓を招く。
「あっ……ベッドがある」
思わず口にしてしまった梓に、碧惟は首をかしげる。
「……ああ。まさか、一緒に寝るつもりだった?」
「いえ!」
ニヤリとした碧惟に向かって、思い切り首を振る。
これで、納得がいった。広い家だから、梓が来ても困らないのだろうとは思っていたが、寝室もきちんと別に、それどころかマンションの部屋ごと別に用意できる環境があったから、碧惟はためらわなかったのだ。
「えっと……いったん荷物を片づけようと思うので、自分の部屋に戻りますね」
ホッとした梓は、とりあえず一人になって落ち着きたくなった。
いくら居心地が良さそうでも、人生で初めて入るような豪華な部屋、それも男の一人暮らしの生活空間に緊張しっぱなしだったのだ。
玄関に戻ろうとする梓を、碧惟が引き止めた。親指を立てて、クイッと梓を招く。
「おい、こっちだ」
「なんですか?」
まだ部屋があったのだろうか。
碧惟は、寝室の中へと入り、奥の扉を開く。
「ここから帰ればいい」
「……えっ!?」
碧惟の寝室と梓の寝室は、扉ひとつでつながっていた。