料理研究家の婚約レッスン

初めての朝

 朝6時。目覚ましのアラームを1回で止めると、梓はベッドから起き上がった。

 そろりと部屋を出て、洗面所に向かう。身だしなみを整え、部屋に戻ると着替えとメイクを済ませる。

 用意は整った。

「よし!」

 気合いを入れると、先ほど使ったドアとは別のドアに向かい、深呼吸を一つ。

 眠っている男を起こすなんて、もしかしたら同居するよりハードルが高いかもしれない。

 でも、梓は腹をくくっていた。

 この仕事に全力を尽くす。

 どうやったら、碧惟に結婚に前向きな気持ちを持ってもらえるのかわからないが、頼まれたことくらいはやらなくてはならない。

 それに、梓が起こすことによって、妻に起こしてもらえる夫に碧惟が憧れてくれる可能性だって、ゼロじゃないだろう。少しは結婚願望に近づきそうなミッションだ。

 しかし、そこは人気料理研究家・出海碧惟の寝室だ。

 碧惟は料理番組には引っ張りだこだが、無関係のバラエティでは見たことがない。SNSでプライベートをさらすようなこともしていない。

 つまり、寝起きの顔なんて、もちろん公開したことがないのだ。

(全国のファンの皆さん、ごめんなさい。どうか許してください。これは仕事です!)

 心の中で呪文のようにブツブツと言い訳しながら、まずは控えめにノックをしてみる。

 返事はない。

 部屋の中からは、大きなアラームの音が鳴り始めた。それに負けないよう、こちらも大きな音を立ててノックしてみたが、やはり応答はない。

「……失礼します」

 覚悟を決めて、中へ入る。

 朝が弱いと宣言していたくらいだから、ノックくらいじゃ起きないだろう。耳をふさぎたくなるようなアラームの音も、一向に止まらない。

「先生、おはようございます」

 梓の部屋側の壁にぴったりつけられたベッドで、碧惟は寝ていた。

 布団にくるまり、わずかに頭がのぞいている。顔は、見えない。

「先生! おはようございます!」

 恐る恐る布団を軽くたたいてみても、反応がない。

 強くゆすると、ようやくくぐもった唸り声が聞こえた。

「先生! 6時半になりましたよ。起きてください!」

 これは、なかなか手強そうだ。何しても良いと事前に宣言していただけのことはある。

 梓は、部屋のカーテンを開けた。

 冬の朝は遅い。外は明るくなっていたものの、光は弱かったので、部屋の電気もつける。

 その間、声をかけ続けるが、碧惟は一向に起きる気配がない。

 あまりにうるさいアラームは、申し訳ないが勝手に消させてもらった。

「先生? 起きてくれないと、布団はがしますよ。いきますよ? 寒いですからね!」

「んー!」

 ようやく声らしい声がしたが、言葉になっていない。

 梓は思い切って、勢いよく布団を引き剥がそうとした。

 ……が、はがれない。

 中から碧惟が引っ張っているようだ。

「目を覚ましたなら、ちゃんと起きてくださいよ!」

 力任せに布団を引っ張ると、その勢いで梓は布団ごと碧惟の足元に転がってしまった。

 慌てて起き上がろうとした梓を、布団を取り返そうと振り上げた碧惟の腕が引き寄せた。

「きょう……」

「ぎゃっ!」

 寝転ぶ碧惟に、ギュッと抱き締められる。

「ひっ……!」

 放心した梓の背を、碧惟の腕が這い回る。

「ん? なんだ、これ……? きょうじゃない?」

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