料理研究家の婚約レッスン

特訓開始

 弥生には威勢よく宣言したものの、梓には何をすればいいのか、さっぱりわからなかった。

 仕事の合間に、弥生に貸してもらった碧惟の資料を読み漁ったが、目新しいものはない。

 これまでに出した料理本はイタリアンが基本で、いかにも気取った料理が多い。自分でも中級以上だと言っていたから、当然だろう。

 反対に、テレビ番組のガイドブックは、手軽なレシピが多かった。これでバランスを取っているのだろう。

 仕事以外の情報も漁ってみたが、スキャンダルの類は出たことがないらしかった。

(これで、わたしが一緒に住んでるってバレたら、まずいよね)

 会社から帰宅するとき、もとの家に帰るか、少しだけ迷った。

(でも、夕飯を用意してくれるって言ってたし)

 ビクビクしながらも、食欲につられて碧惟の家に戻った。

 約束通り、用意してくれていた夕食を碧惟ととり、碧惟が風呂に入ったのを機に、梓は自分の部屋に戻った。

 102号室には、梓しかいないのは確認済みだ。

「よし!」

 気合いを入れて、自室のクローゼットを開く。

 今日買ったものを持つと、梓はコソコソとキッチンスタジオへと入っていった。誰もいないとわかっていても、ドキドキする。

 おおっぴらにライトをつけるのはためらわれて、調理台の上のダウンライトだけつける。碧惟に断りを入れずに勝手に入った罪悪感と、夜の学校に忍び込んだような雰囲気に怯えながら、持ってきたものを調理台に並べる。

 今日買ったばかりの包丁とまな板。そして、キャベツだ。

「やるか!」

 包丁とまな板のパッケージをはがして、水洗いする。

 次にキャベツだ。丸々1個買ってきた。

「結構、重たいんだなぁ」

 苦労しながら、それも水に流してみた。

「……なんか、思ったより汚いけど、外側だけ洗えばいいのかな?」

 ごしごし手でこすって、まな板の上に載せてみる。

「こう? それとも、こっち?」

 茎の部分を下にして置いたが安定せず、ひっくり返す。それでも、ごろごろする。

「ま、いっか」

 右手で包丁を取り、左手でキャベツを支える。

「千切りって、どんなのだっけ」

 とりあえず、右から切ってみる。キャベツがゴロリと揺れた。

「危ないっ」

 今度は、慎重にやってみる。

 何とか切れた。幅は、一センチ近くある。丸のまま切れ目を入れたので、直線ではなく、半円がいくつも切れた。

「……なんか違う」

 梓は、料理を全くしたことがなかった。高校でやった調理実習が最後だ。

 これではまずいと気づいたのが、プロポーズを受けたあと。仕事を辞めてから料理教室に通うつもりだったが、通い始めるより先に破談になり、結局行っていない。

 碧惟にバレたら、おそらく信用を失い、同居も企画もなくなるだろう。

 ちなみに、本来の担当者である弥生は料理上手で、碧惟の著作に載っているメニューは全部作ったというつわものだ。テレビで紹介したレシピも、ほとんど作っているらしい。

 弥生ほどではなくても、梓もそれなりに手伝えるようにならなくてはならないだろう。

 何から始めれば良いのかもわからなかったが、料理と言ったら、とりあえず包丁遣いだろう、切る練習ならキャベツの千切りだろうと安易に考えて、今に至る。

「ぐらぐらするなぁ」

 ふと思いついて、キャベツの横から3分の1くらいのところを切り落としてみる。何とかできた。

 丸い断面を下にして置く。これなら、ぐらつかない。

「おお、これならできそうな気がしてきた」

 それから、キャベツを丸々一個切り終えるまで、梓の格闘は続いた。

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