料理研究家の婚約レッスン

あこがれの人

 殺伐としかけていたスタジオに、明るい声が響いたのは、粗方の準備が整ってからだ。

「おはようございます。よろしくお願いします」

(湖春《こはる》だっ!)

 梓の年代には憧れのカリスマモデル、湖春がやって来た。年齢は、24歳の梓よりわずかに上だったはずだから、碧惟たちとほぼ同じだろう。

 湖春は番組開始当初から、アシスタントをしている。以前から健康的な美を売りにしていた湖春は、美容や健康の知識も豊富で、料理上手なことでも知られていた。

 ヘアメイクが済んでいるらしく、テレビで見るままの美しさで、湖春は颯爽とやって来た。

「おはようございます。よろしくお願いします」

「おはよう。よろしく」

「おはよう」

 碧惟も恭平も長い間この番組をやっているせいか、気安い挨拶を交わしていた。

「あら。初めましてですよね?」

「はい! 臨時でお手伝いに来させてもらっています。河合梓と申します」

「梓さん、よろしくね」

「よろしくお願いします!」

(わぁ、湖春と話しちゃった……っ!)

 同じく有名人の碧惟とは、毎日顔を合わせているが、湖春はまた違う。料理にも碧惟にも興味がなかった梓にとっては、中学時代から雑誌などで見ていた湖春の方が、碧惟よりはるかに芸能人っぽかった。

 うっとり湖春を見ていたかったところだが、そんな暇はないうちに収録が始まった。

 10分間のミニ番組だから、CMを除いた正味の放送時間は、7分ほどだ。時間のかかる料理は、恭平が何段階にも分けて先に作っておき、途中で差し替えていく。

 梓は大量に用意された食材を使う順に並べていったり、洗い物をしたりする。いつもは碧惟の母で同じく料理研究家の翠のアシスタントが手伝いに来てくれるらしいが、今日はたまたま誰も来られないという事情があったらしく、雑用しかできない梓でも重宝された。

「ここで、クミンを入れます」

「クミン、小さじ4分の1です。一気に香りが立ちますね」

「そうですね」

 料理に集中しがちな碧惟を、湖春がうまく盛り立てる。

 二人の動きには無駄がなく、長年連れ添った夫婦のようにタイミングもばっちりだ。

(さすがだな……)

 皿洗いがやっとの梓には、うらやましがることしかできない。

(うらやましい……?)

 ふと湧いたそんな気持ちに、違和感を抱く。

 今は何もできない状態なのだから、うらやましくて当然なのかもしれない。テキパキと動く湖春や恭平のように、碧惟をサポートできるようになれば、碧惟とももっと親しくなれ、本の企画にも前向きになってくれるかもしれない。

 そういうことだと納得する。

(まずは、目の前の仕事に集中しないと……!)

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