料理研究家の婚約レッスン
「あの……井野さんって、どちらにお住まいなんですか? わたし、取りに行ってきますよ」

「おい」

「当日配送する予定だったってことは、そう遠くないんですよね?」

「銚子だから、結構遠いぞ。おまえが行くなら、俺が行く」

「なに言ってるんですか。先生は料理教室があるんですから、ここを離れちゃいけません。ここから先の準備は、わたしじゃあまりお役に立てないし、もうすぐ恭平さんも着くみたいですから、わたし行ってきます」

 碧惟は渋っていたが、農家の住所を聞き出して、梓はさっさと家を出た。

(雪用のブーツ、持ってくれば良かったな)

 栃木の実家にいたときは、雪かき用に長靴や雨用の通勤靴も用意していた。着古した、でも暖かさは抜群のダウンや帽子もあった。しかし、まさか東京で必要になるとは思ってもいなかったので、置いてきてしまったのだ。

 車を借りることも考えたが、渋滞しているだろう。雪の中、初めて辿る道を行くのも、初めて乗る他人の車を運転するのも気が進まない。

 結局、梓は電車で行くことにした。ここから銚子までは、特急電車を使って最短で2時間半ほど。明朝に間に合えばいいので、時間は十分ある。

 乗り換えに迷いながらも何とか銚子まで着き、そこからはタクシーに乗って農家まで行った。碧惟が連絡してくれていたため受け取りはスムーズで、何度もお詫びを言われてしまった。

「本当に一人で持てる?」

「はい、大丈夫です」

 持たされたキャベツは、6玉。3つずつビニール袋に入れてもらい、両手にぶら下げる。

 待たせていたタクシーに乗り込めば、あとは来た道を戻るだけだ。

 ところが、そう簡単には行かなかった。

「本日の特急列車は、大雪のため終日運転を中止します。なお、普通列車も雪の影響で、大幅に本数を減らして運行しております。繰り返しご案内します――」

(えっ、特急がないの?)

 慌てて駅員に行き方を確認したところ、余分に時間がかかるだけで、東京には問題なく着けるらしい。

 行きは一本で行けたルートを何度も乗り換えながら、少しずつ進む。

 かじかんだ手のひらにビニール袋が食い込んでいく。食べ物だけに床に置くのは抵抗があるので、なんとか手にぶらさげているが、ビニールが切れるのが先か、梓の手に血がにじむのが先か。

(やっぱり、よくばりすぎたかな。でも、足りなくなったら困るし)

 一人でキャベツ6玉を持つのは大変ではないかと、農家の人には心配されたのだ。慣れた農家なら良いが、梓は事務仕事しかしたことがない上、小柄だ。

 背中に汗がにじむ。本数の減らされた電車は混んでいて、梓の顔は真っ赤になった。

 反対に、ホームで列車を待っていると、雪が顔を打つ。荷物が重くてうまくぬぐうこともできず、ひたすら電車を待つばかりだ。

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