料理研究家の婚約レッスン
覆された想い
レストランを出た3人は、翠に付き合ってホテルの5階へとやって来た。
「二人とも、ちょっとだけ付き合ってね。スタッフの子に頼まれちゃって」
そう言った翠が連れてきたのは、ウェディングサロンだった。
「こんにちは。パンフレットか何かいただけないかしら?」
ズンズンと中に入っていってしまう翠を先に行かせて、碧惟は足を止めた。
「……帰ろう」
その瞳で、梓を心配していることがわかる。
「大丈夫ですよ。確かに、一時期は結婚に関することを見るのも苦しかったですけど、今は不思議と純粋に素敵だなと思えるんです」
「無理してないか?」
「全然。ここに残ってたら、翠さんが心配しちゃいますよ」
梓がほほ笑むと、碧惟はホッとしたように笑い、梓の手を取った。
「先生、ダメですよ。誰かに見られたら……」
「誰に見られても構わない」
そう言って、握った手に力を込める。
梓はしばらくためらっていたが、やがてギュッと握り返した。二人で、ウェディングサロンに入る。
「ねえ、チャペルを見学させてもらえるんですって」
「パンフレットをもらうだけだって言ってただろ」
「先生、せっかくだから、見せてもらいましょうよ」
はしゃぐ翠に、手をつないだ二人がついていく。
ホテルのスタッフは、翠に熱心に説明していたので、二人は少し離れてこそこそと会話した。
「本当に大丈夫か? 見たいなら、母さんだけ勝手に見ればいいんだ」
「こんな機会でもないと、山吹ホテルのチャペルなんて、なかなか入れないですよ!」
「おまえが見たいなら、構わないけどさ……」
婚約破棄の昔の痛みより、いま碧惟が心配してくれるうれしさの方が、梓には大きかった。
「……以前は、式場は決まっていたんですけど、その後の話し合いは全然進まなくて。今思えば、その時点で何かおかしかったんですよね。ちゃんと話し合っていれば、もっと前に気づけたのかな……」
昔を思い出す梓の手を包む力が強くなる。
「すみません、こんな話……」
「いや、聞かせてくれてありがとう。おまえの話だったら、何でも聞きたいよ」
碧惟の優しさに、梓の頬がほてる。人目のある場所だというのに、碧惟の態度は変わらない。
「わぁ……素敵」
白を基調としたチャペルは、由緒正しいホテルに相応しく格調高いものだった。ステンドグラスを通した柔らかな光が、大理石のバージンロードを照らしている。
武と歩くはずだったバージンロードを、梓はまだ知らずにいる。
きっと、それで良かった。自分にはまだ見たことがない道が残されていると思うと、梓はワクワクしてくるのを感じた。
「もし、わたしが結婚式を挙げられるなら、去年挙げるはずだった式より、ずっと良いものにします!」
「そうだな。どんな式でも挙げられるとしたら、どういうのがいい?」
明るい声を上げた梓に、碧惟が応じる。
「そうですねぇ。こういう格式あるところも素敵ですし、海外で二人だけで挙げるのもいいですね」
「そうだな。ヨーロッパの古城とか」
「南の島のリゾートウェディングとか」
「それもいいな」
顔を寄せ合いながらクスクスと楽しそうに話し続ける二人を、遠くから翠が見守っていた。
ウェディングサロンのスタッフから断りきれずに持たされたパンフレットを持って、二人は帰宅した。
始まる前は不安に思っていた食事会だったが、終わってみれば楽しい会だった。
「先生のご両親、仲良しじゃないですか」
「ああ、知らなかったよ。俺はずっと、両親は不仲なんだと思ってたから」
「あんなご夫婦、憧れちゃいます」
お互いの仕事も性格も尊重し合い、労わり合っているように感じた。
そう梓が言えば、碧惟もうなずいた。
「そうだな。夫婦も良いものかもな」
「……え?」
ソファに座っていた碧惟は、まさかと思って聞き返した梓の手を取る。
「梓。結婚も良いものかもな」
そのまま手を引き、梓を自分の隣に座らせる。
「梓と出会って、梓と暮らして、初めてそう思ったよ」
「先生……」
「梓の勝ちだ、梓。本でも何でも、おまえが良いと思うものを、一緒に作ろう」
「先生……っ!?」
瞳を潤ませる梓を、碧惟は胸に閉じ込めた。
「二人とも、ちょっとだけ付き合ってね。スタッフの子に頼まれちゃって」
そう言った翠が連れてきたのは、ウェディングサロンだった。
「こんにちは。パンフレットか何かいただけないかしら?」
ズンズンと中に入っていってしまう翠を先に行かせて、碧惟は足を止めた。
「……帰ろう」
その瞳で、梓を心配していることがわかる。
「大丈夫ですよ。確かに、一時期は結婚に関することを見るのも苦しかったですけど、今は不思議と純粋に素敵だなと思えるんです」
「無理してないか?」
「全然。ここに残ってたら、翠さんが心配しちゃいますよ」
梓がほほ笑むと、碧惟はホッとしたように笑い、梓の手を取った。
「先生、ダメですよ。誰かに見られたら……」
「誰に見られても構わない」
そう言って、握った手に力を込める。
梓はしばらくためらっていたが、やがてギュッと握り返した。二人で、ウェディングサロンに入る。
「ねえ、チャペルを見学させてもらえるんですって」
「パンフレットをもらうだけだって言ってただろ」
「先生、せっかくだから、見せてもらいましょうよ」
はしゃぐ翠に、手をつないだ二人がついていく。
ホテルのスタッフは、翠に熱心に説明していたので、二人は少し離れてこそこそと会話した。
「本当に大丈夫か? 見たいなら、母さんだけ勝手に見ればいいんだ」
「こんな機会でもないと、山吹ホテルのチャペルなんて、なかなか入れないですよ!」
「おまえが見たいなら、構わないけどさ……」
婚約破棄の昔の痛みより、いま碧惟が心配してくれるうれしさの方が、梓には大きかった。
「……以前は、式場は決まっていたんですけど、その後の話し合いは全然進まなくて。今思えば、その時点で何かおかしかったんですよね。ちゃんと話し合っていれば、もっと前に気づけたのかな……」
昔を思い出す梓の手を包む力が強くなる。
「すみません、こんな話……」
「いや、聞かせてくれてありがとう。おまえの話だったら、何でも聞きたいよ」
碧惟の優しさに、梓の頬がほてる。人目のある場所だというのに、碧惟の態度は変わらない。
「わぁ……素敵」
白を基調としたチャペルは、由緒正しいホテルに相応しく格調高いものだった。ステンドグラスを通した柔らかな光が、大理石のバージンロードを照らしている。
武と歩くはずだったバージンロードを、梓はまだ知らずにいる。
きっと、それで良かった。自分にはまだ見たことがない道が残されていると思うと、梓はワクワクしてくるのを感じた。
「もし、わたしが結婚式を挙げられるなら、去年挙げるはずだった式より、ずっと良いものにします!」
「そうだな。どんな式でも挙げられるとしたら、どういうのがいい?」
明るい声を上げた梓に、碧惟が応じる。
「そうですねぇ。こういう格式あるところも素敵ですし、海外で二人だけで挙げるのもいいですね」
「そうだな。ヨーロッパの古城とか」
「南の島のリゾートウェディングとか」
「それもいいな」
顔を寄せ合いながらクスクスと楽しそうに話し続ける二人を、遠くから翠が見守っていた。
ウェディングサロンのスタッフから断りきれずに持たされたパンフレットを持って、二人は帰宅した。
始まる前は不安に思っていた食事会だったが、終わってみれば楽しい会だった。
「先生のご両親、仲良しじゃないですか」
「ああ、知らなかったよ。俺はずっと、両親は不仲なんだと思ってたから」
「あんなご夫婦、憧れちゃいます」
お互いの仕事も性格も尊重し合い、労わり合っているように感じた。
そう梓が言えば、碧惟もうなずいた。
「そうだな。夫婦も良いものかもな」
「……え?」
ソファに座っていた碧惟は、まさかと思って聞き返した梓の手を取る。
「梓。結婚も良いものかもな」
そのまま手を引き、梓を自分の隣に座らせる。
「梓と出会って、梓と暮らして、初めてそう思ったよ」
「先生……」
「梓の勝ちだ、梓。本でも何でも、おまえが良いと思うものを、一緒に作ろう」
「先生……っ!?」
瞳を潤ませる梓を、碧惟は胸に閉じ込めた。