料理研究家の婚約レッスン
企画書の内容は、ようやく碧惟に会いに行けると気合いの入っていた弥生から、さんざん聞かされていたので、ひととおり頭に入っている。
今回持ってきたのは、碧惟の料理本とDVDの提案だった。碧惟が恋人に料理を教えるという設定で、概要はすでに何度もメール等で伝えてあると聞いていた。
つっかえながらもなんとか説明し終わると、碧惟は片手でめくっていた資料をパタリと閉じた。
「……いかがでしょうか」
碧惟は、すぐには答えない。腕組みすると、一つため息をついた。
「あの……?」
たまりかねた梓が問いかけると、碧惟はこぶしの甲で企画書をコツンと突いた。
「これって、以前から水上さんが言っていた企画と変わらないよね」
敬語が取れていた。始めから良かったとは思えない機嫌が、悪化している。
「は、はい。水上は、ぜひ先生とこの企画を実現したいと考えておりまして……」
「じゃあ、この話はなしだ」
「……え?」
「受け入れられない」
「で……でもっ!」
身を乗り出した梓に向かって、碧惟は資料をテーブルの上で滑らせるようにして、突き返した。
「最初から、今日は断るつもりだったんだ。なかなかしつこいから、一度会ったらあきらめがつくかと思ってね」
「そんな……」
弥生は、昨年からこの企画を温め、ことあるごとに碧惟に提案してきたのだと言っていた。
この日のために、どんなに準備してきだことろう。自分が直接会えなくて、どれだけ悔しい思いをしているだろう。
それなのに、たった10分足らずの、しかも代理人の説明だけで終わらせられてしまうなんて、弥生に合わせる顔がない。
「あの……わたしの説明が悪かったんだと思います。もう一度、水上から話をさせていただけないでしょうか? そうすれば、きっと」
「無駄だよ。この資料は、水上さんが作ったんだろ? その内容が悪いって言ってるんだ」
取り付く島もない。
それでも梓は、取りすがった。
「あの! どこが悪いんでしょうか!?」
「それを聞いてどうする」
「悪いところがわかれば、直しようもあります。なるべく先生のご要望に沿うようにしますので!」
梓の必死の様子を見て取ってか、碧惟は短く息をつくと、重い口を開いた。
「まずDVDはいらないだろ。俺は芸能人じゃないんだから、本だけでいい。次に、趣旨が気に食わない。恋人だとかどうとか、バカバカしい設定は余計だ。それから、初心者向けであること。基本的な家庭料理なら、得意な料理家が他にいくらでもいる。これまでだって俺は、玄人はだしの中上級者向けに的を絞ってやってきた。俺のキャリアをわかっているなら、こんな企画は出さないはずだ」
なんと、企画の骨格がすべて否定されてしまった。
どこから言い返していいのかわからないまま、梓はとりあえず否定を口にする。
「……でもっ!」
「今言った点が変更できるんなら、また話を聞いてやってもいい」
「あのっ!」
「今日はお引き取りを。水上さんに、お大事にと伝えてください」
取ってつけたような労わりの言葉に、薄っぺらい笑顔が張りついていた。
この顔だ、と梓は思う。冠番組『出海碧惟 23時の美人メシ』で、碧惟は番組の最後に決め台詞「召しあがれ」と共に見せる笑顔だ。10分間の番組中、ほとんど笑わない碧惟が見せる笑顔とあって、その瞬間を見るために多くのファンがチャンネルを合わせると言われていると、弥生から聞いた。
その笑顔が、梓にはどうも胡散臭く見える。目が笑っていないのだ。
切れ長の目を流しながら、ニヒルに口元を曲げてみせれば、嫌みなほど決まっているのはわかる。
けれど、そんな決め顔で差し出された料理を、おいしそうだとは思えなかった。
苦手な笑顔で押しきられた梓は、ただの代理で、編集や企画の経験もない。前職でも、補助的な役割しか望まれていない事務職だった。こんなとき、どんなふうに言えば、次につなげられる可能性があるのか、何一つ思い浮かばない。
結局、なすすべなく帰されるしかなかった。
今回持ってきたのは、碧惟の料理本とDVDの提案だった。碧惟が恋人に料理を教えるという設定で、概要はすでに何度もメール等で伝えてあると聞いていた。
つっかえながらもなんとか説明し終わると、碧惟は片手でめくっていた資料をパタリと閉じた。
「……いかがでしょうか」
碧惟は、すぐには答えない。腕組みすると、一つため息をついた。
「あの……?」
たまりかねた梓が問いかけると、碧惟はこぶしの甲で企画書をコツンと突いた。
「これって、以前から水上さんが言っていた企画と変わらないよね」
敬語が取れていた。始めから良かったとは思えない機嫌が、悪化している。
「は、はい。水上は、ぜひ先生とこの企画を実現したいと考えておりまして……」
「じゃあ、この話はなしだ」
「……え?」
「受け入れられない」
「で……でもっ!」
身を乗り出した梓に向かって、碧惟は資料をテーブルの上で滑らせるようにして、突き返した。
「最初から、今日は断るつもりだったんだ。なかなかしつこいから、一度会ったらあきらめがつくかと思ってね」
「そんな……」
弥生は、昨年からこの企画を温め、ことあるごとに碧惟に提案してきたのだと言っていた。
この日のために、どんなに準備してきだことろう。自分が直接会えなくて、どれだけ悔しい思いをしているだろう。
それなのに、たった10分足らずの、しかも代理人の説明だけで終わらせられてしまうなんて、弥生に合わせる顔がない。
「あの……わたしの説明が悪かったんだと思います。もう一度、水上から話をさせていただけないでしょうか? そうすれば、きっと」
「無駄だよ。この資料は、水上さんが作ったんだろ? その内容が悪いって言ってるんだ」
取り付く島もない。
それでも梓は、取りすがった。
「あの! どこが悪いんでしょうか!?」
「それを聞いてどうする」
「悪いところがわかれば、直しようもあります。なるべく先生のご要望に沿うようにしますので!」
梓の必死の様子を見て取ってか、碧惟は短く息をつくと、重い口を開いた。
「まずDVDはいらないだろ。俺は芸能人じゃないんだから、本だけでいい。次に、趣旨が気に食わない。恋人だとかどうとか、バカバカしい設定は余計だ。それから、初心者向けであること。基本的な家庭料理なら、得意な料理家が他にいくらでもいる。これまでだって俺は、玄人はだしの中上級者向けに的を絞ってやってきた。俺のキャリアをわかっているなら、こんな企画は出さないはずだ」
なんと、企画の骨格がすべて否定されてしまった。
どこから言い返していいのかわからないまま、梓はとりあえず否定を口にする。
「……でもっ!」
「今言った点が変更できるんなら、また話を聞いてやってもいい」
「あのっ!」
「今日はお引き取りを。水上さんに、お大事にと伝えてください」
取ってつけたような労わりの言葉に、薄っぺらい笑顔が張りついていた。
この顔だ、と梓は思う。冠番組『出海碧惟 23時の美人メシ』で、碧惟は番組の最後に決め台詞「召しあがれ」と共に見せる笑顔だ。10分間の番組中、ほとんど笑わない碧惟が見せる笑顔とあって、その瞬間を見るために多くのファンがチャンネルを合わせると言われていると、弥生から聞いた。
その笑顔が、梓にはどうも胡散臭く見える。目が笑っていないのだ。
切れ長の目を流しながら、ニヒルに口元を曲げてみせれば、嫌みなほど決まっているのはわかる。
けれど、そんな決め顔で差し出された料理を、おいしそうだとは思えなかった。
苦手な笑顔で押しきられた梓は、ただの代理で、編集や企画の経験もない。前職でも、補助的な役割しか望まれていない事務職だった。こんなとき、どんなふうに言えば、次につなげられる可能性があるのか、何一つ思い浮かばない。
結局、なすすべなく帰されるしかなかった。