料理研究家の婚約レッスン
Last Lesson
 梓の朝は、傍らで眠っている夫を起こすことから始まる。

「碧惟さん、おはよう」

 くしゃりと髪を撫でるが、これくらいで起きるような夫ではない。

 そっと額にキスしてからベッドを出ようとすると、腰にスルリと太い腕が絡まった。料理で鍛えられた力強い腕だ。

「おはよう、梓」

「起きていたんですか?」

「まだ寝てる」

 寝ているというにはハッキリした口調で、しっかりと梓を抱き込んでいく。

「今朝はわたしがご飯作りたいので、離してください。このまえ教わったパンケーキを作るから」

「あとで焼いてやる」

「そうじゃなくて、わたしが作りたいの」

「じゃあ、一緒にやろう。あとでな……」

 寝ぼすけで世話焼きの夫は、今日も妻を甘やかす。

 流されやすく甘ったれの妻は、今日も夫に従ってしまうのだ。

(まあ、いいか。今日は二人とも休みだし)

 碧惟は相変わらず料理研究家として活動しながら、さらに自分で持ち込みの企画を立てたり、SNSで発信するなど活躍の場を広げている。公開収録での告白もあって、クールで近寄りがたいイメージが、親しみやすい愛妻家に変わり、かえって仕事に呼ばれやすくなったようだ。今までは断っていたゲストを呼ぶ仕事にも、積極的になった。

 梓は編集プロダクションで事務の仕事を続けながら、碧惟の仕事も本格的に手伝いだした。料理は初心者ながら、簡単な家庭料理なら無理なく作れるようになり、一般人としてはじゅうぶん自炊できるレベルに達した。

 でも、料理をすればするほど、自分にはこの道を極めるより、裏方としてサポートするほうが合っていると感じるようになってきた。今は翠の事務所にも顔を出して、経理の仕事を教えてもらっている。

「約束ですよ」

「ん」

 胸に顔を擦りつけてきた妻を抱き寄せ、夫はキスを贈る。

 流されやすく甘ったれの妻は、芯を持った女性に成長した。その上で、甘えてくれているのだと、夫は知っている。

 妻も夫にキスを返す。

 寝ぼすけで世話焼きの夫は、妻を甘やかすために今日も寝ぼけたふりをしたのだと、妻は知っている。

 二人の朝は、こうして始まり、今日も同じ家に帰る。一緒に食事を作り、一緒に食べる。同じベッドに入って、キスを贈りあう。

 そしてまた、二人の朝を迎えるために。








   - 終 -
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