料理研究家の婚約レッスン
「先生っ!?」
「生地が乾くから、さっさとやる」
「でも……集中できません……」

 すぐ弱音を吐く生徒には、特別に手出しをした。
 梓の手に重ねるようにして、碧惟も生地を捏ねる。その間も、唇は首筋を辿ることをやめない。

「もっと力を入れて」

 耳の裏からささやくと、梓の体がピクンと揺れた。

「腕の力だけでやろうとするから疲れるんだ。もっと腰を入れて」

 後ろから腰を押しつけると、恥ずかしそうに身を捩らせるから、ますます構いたくなる。

「まだ?」
「まだ」

 体をリズムよく擦りつけるようにしながら、耳を齧る。途端に、梓の膝の力が抜けた。

「先生……っ」
「ん?」

 梓を抱えあげて体勢を直し、あとは碧惟が生地を捏ねた。時間をかけすぎるのは、良くない。

「よし。ここまで来たら、生地を丸くまとめる。表面をならして、生地の終わりを下に入れ込むんだ。ここをきれいにやらないと、生地がダレる」

 碧惟がいじる先が梓からパン生地に移った間に、どうにか立ち直った梓が、恨めしそうに碧惟を見返すのには気づいたが、知らぬふりでレッスンを続ける。

「とりあえず、40分でいいか」

 一次発酵の支度を済ませ、仕上げにタイマーをセットした碧惟は、手早く手を布巾で拭くと、調理台と自分の間に挟んだままだった梓をヒョイッと持ち上げた。

「先生っ!?」

 ソファに連れていき、碧惟の膝の上に抱えた。

「40分間、何しようか」

 耳に唇をつけて囁くと、梓は面白いほど慌てふためいた。

「な、何って、片付けたりとか!」

 慌てる梓の頬を耳たぶを、歯で軽く引っ張る。

「一次発酵が終わっても、ベンチタイムと二次発酵、更には焼き時間もある。そのときにすればいい」
「せんせ、そこで喋らないで……!」
「痛くないだろ?」
「……痛くは……ないですけど」

 しどろもどろの呟きが愛しくて、名残惜しく耳たぶを口に含んでから、戸惑いに震える唇へと移った。
 少し乾いた口内を、優しく進む。わずかな抵抗はすぐに力をなくし、梓は碧惟を受け入れた。

「……ベッド行く?」
「い、行かないです! だって、フォカッチャは?」
「タイマーかけたから大丈夫」

「でも!」と言い募るのは、ここに帰って来ない可能性を、梓も認識しているからだろう。
 無論、碧惟も帰すつもりなどなかった。
 始めてしまったからには仕方ないので、フォカッチャは焼成までやる方がしかないが、残りの工程は碧惟一人で適当に済ませればいい。梓が戻るのは、食事の支度がすっかり整ってからでいいだろう。
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