料理研究家の婚約レッスン
「後は俺がやるから」
「ダメです! わたしにも教えてください!」
「今度な」

 ここまで我慢した碧惟を褒めてほしいくらいだ。
 なだめるようにキスしようとした碧惟の顔を、しかし梓は両手で突っぱねた。

「ダメ! 最後まで教えて?」
「………………どうして」

 うなった碧惟に梓はひるんだが、諦めはしなかった。

「だって……わたし、もっとお料理できるようになりたいんです!」
「そんなの、別に俺ができるんだから」
「ううん、わたしも。今のままじゃ、正直先生や弥生さんが話していること、理解できないことも多くて。こんなんじゃ、いくら初心者役だからと言っても、本を作るときに迷惑をかけることは目に見えています」

 確かに、梓の料理の腕は、まったくの初心者だ。少し前まで包丁さえ、ろくに握ったことがなかったのだから、仕方ない。碧惟だって、弥生だって、それを分かった上での仕事だ。

「ちゃんとフォローする」
「ありがとうございます。もちろん、ちょっとやそっと練習したくらいじゃ、今度の本には間に合わないことは分かってます。でも、それだけじゃなくて……」
「なんだよ」
「……先生のお仕事を……碧惟先生をもっと知りたいから。勉強して、自分でもお料理ができるようになったほうが、もっと碧惟先生のこと、分かるようになるかなって、それで……」

 梓は徐々にうつむいた。碧惟に腕を突きつけているせいで、顔が隠せず、赤く染まった肌が丸見えだ。

「…………分かった。最後まで二人で作ろう」
「ありがとうございますっ!」

 仕方ない。
 できたばかりの恋人にここまで言われて、目の前の欲を優先させるほど、碧惟は意地悪くもなければ、狭量でもなかった。頬を染めた梓の瞳が輝くのを見ているほうが良い。
 しかし、もっと頬を赤くするのも悪くない。

「……じゃ、どうやって時間を潰してくれるんだ?」
「え? だから、お片付けとか」
「えぇ? ……なぁ。俺が料理を教える代わりに、梓は何を教えてくれるんだよ」

 ポケッと中途半端な位置で止まっていた梓の腕を掴み上げ、ソファへ押し倒す。少しくらいは、見返りがあっても良いはずだ。
 もちろん、さっさとフォカッチャを焼き上げた後は、ベッドルームへ連れ戻すつもりであることを、梓も早めに知っておくと良い。
 碧惟は、生地を捏ねたときとは打って変わって優しく、梓の柔らかな体に触れるのだった。
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