副社長と恋のような恋を
「俺は自信がなかったんだ。一応は育ててもらったけれど、親の愛を知らない。今まで付き合った人のことをちゃんと好きだったかって聞かれると、そうだとは言い切れない。親だって、付き合った人たちだって、多かれ少なかれ愛情を示してくれていたんだと思う。だけど、俺はそれを見つけることができなかったから。だから麻衣が好きだと言ってくれるたびに安心できた。この子は自分のそばにいてくれるって。君に甘えていたんだ」

 この言葉が嘘でないことぐらいわかる。でも、素直に信じることができない。

「手、放して。私、このまま明人さんと付き合っていくことはできないです。さようなら」

 手の力が緩み、副社長の手はゆっくりと離れていった。バックから合鍵を出して、カウンターに置いた。副社長は俯いていた。副社長がどんな顔をしているのかわからないまま、カウンターから離れた。

 冷たい風を浴びながら、駅へ向かって歩く。こんな時に限って、萩野明の言葉が浮かんでくる。

“秘密を知った人との間には絆が生まれる”

 私たちの間には秘密なんて存在しなかった。秘密の紛いものだった。だから絆なんて残ることはない。私に残ったのは絆ではなく恋の傷だった。

 副社長は恋のようなことをしていた。私はその恋のようなものに恋をしてしまったんだ。

 いつか副社長と話したことを思い出した。

“失恋って、大人になったときのほうが堪えるってこと意外とある”

 まさか、そのまま自分に帰ってくるとは思わなかった。
< 183 / 192 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop