背徳の王太子と密やかな蜜月
第一章
闇を漂いし者たち
空全体が薄紫に染まる、夏の夕暮れ。森の中のむせかえるような夏草の匂いに混じって、食欲をそそる香りがイザベルの鼻をくすぐった。
(魚かな……それとも小さな獣?)
ごくっと唾を飲んだ彼女は、高く結い上げたプラチナブロンドを揺らしながら、草むらをかき分けていく。
この三日間、水以外口にしていない彼女の嗅覚は極限まで研ぎ澄まされていて、香りを辿っていくと予想通り、誰かが火を焚いているのであろう煙がゆらゆら空に昇っていた。そばには、粗末な小屋もある。
音を立てないよう慎重に木のそばに移動し、その太い幹に身を隠したイザベルは、大きなアーモンドアイを細めてじっと焚火の周囲を警戒する。
(旅人か、それとも山賊か……何人までならひとりで倒せるだろう)
腰に帯びた短剣に触れながら、冷静に敵の数を見極めようとしていたイザベル。しかし、どんなに目を凝らしても焚火の周りに人の気配はなかった。
だからといって油断は禁物……自身にそう言い聞かせつつも、イザベルの空腹は限界だった。フラフラと煙の香りに誘われるようにして、二、三歩足を進めたそのとき。
「……何の用だ、女」
背後から、ぞくりとするほど低い、地鳴りのような男の声がした。同時に冷たい金属が首筋に当てられた感触がして、イザベルは息を呑む。
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