好きな人は策士な上司(『好きな人はご近所上司』スピンオフ)
「ほら、帰るぞ。セイさん、桜さん、ありがとうございました」
にこやかに挨拶しながらも桔梗さんはガッチリ私の腕を掴む。
「か、帰るって桔梗さん、今、来たところじゃ……!」
腕をほどこうともがく私をものともせず、桔梗さんは私をカウンターのスツールから立たせる。
「いいの、俺はお前を迎えに来たの。一緒に来い」
いつになく強引な桔梗さんに私は抵抗を諦めて、セイさんと桜さんに挨拶をして店を出た。

コートを強引に羽織らされて、バッグもなぜか桔梗さんが持ち、私はカツサンドの紙袋だけを抱えた状態で歩き出す。桔梗さんは私の左手をガッチリ指を絡めて繋ぐ。
「き、桔梗さん! どうしたんですか? 何かあったんですか?」
私の半歩先を歩く桔梗さんに引っ張られるように歩きながら、声をかける。
「あるよ、大いに。お前、今日が何の日かわかってる?」
不機嫌な声が返ってくる。
「え?」
「三月十四日、ホワイトデー」
桔梗さんは少しだけ私を振り返りながら拗ねたような顔をする。
「し、知ってますよ!」
慌てて返答する私。
「知ってるくせに何でひとりで行方不明になるわけ?」
桔梗さんの声に不機嫌さが更に増す。
「ゆ、行方不明って、だって何にも言われてないです……!」
必死に絞り出した声が弱々しく響く。足をとめる私。桔梗さんも足をとめる。
急に訪れる静寂。
桔梗さんと私が吐く白い息だけが、夜空に溶け込む。雪が降っていないせいで街灯に照らされた桔梗さんの顔がよく見える。私を見つめる桔梗さんの表情がどんどん強張っていく。
どうしよう、怒らせた?
半ばパニックになった私は視線を彷徨わせる。
「……寒いからとりあえず一緒に来て。話は後でしよう」
控えめに絡めた指を引っ張って再び桔梗さんは歩き出す。私は何も言えずに黙って桔梗さんの背中を見つめて歩き出した。
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