好きな人は策士な上司(『好きな人はご近所上司』スピンオフ)
言いたいことならたくさんあるのに、伝えたい気持ちもたくさんあるのに、唇が震えて言葉が出ない。喉の奥に張り付いた声は外に発せられない。

「そんなに話したくない、か」
ふう、と綺麗な目を縁取る長い睫毛を伏せて、桔梗さんは自嘲ぎみに溜め息をついた。
自暴自棄に聞こえる乾いた声が耳に届く。くしゃりと長めの前髪に長い指がかかる。
桔梗さんが身体の向きを変え、私の正面に向き直って、一歩近付いた。
「藤井」
静かに呼ばれた声にビクン、と肩が跳ねた。落としそうになった、既にぐしゃぐしゃの紙袋を桔梗さんが受け取ってテーブルに無造作に置く。
空っぽになった手が心もとなくてギュッと握りしめた、その時、グッと強い力で両腕を引き寄せられた。傾いだ身体が桔梗さんの胸の中に吸い込まれる。痛いくらい力の込められた腕がガッシリと私を包み込む。鼓動が大きな音をたてて走り出す。
「……俺といたくない? 俺はお前を諦めなきゃいけない?」
桔梗さんには似合わない弱気な声に、我に返った。悲痛な声は私の胸を押し潰す。
何を言っているの? 諦めるって何? 私、また何か間違えた?
いつも自信に溢れて眩い道を歩くこの人が、こんなにも打ちのめされている。
一緒にいたくないって何? 違う、違うのに、何をどう言えばこの人に伝わるの? 失いたくないから、傍にいたいから、本心は言えないんだって口にすればわかってもらえる?
こんなにも桔梗さんが好きなのに。
膨れ上がった気持ちは、私の胸を圧迫して、心をどんどん占領していく。余すところなく広がった想いがこらえきれずにぽろりと零れ落ちた。

「……好き」
抱きしめられた腕の中で目から落ちた雫と共に言葉が漏れた。
「え?」
桔梗さんの乾いた声が響いた。私の身体を少し離す。焦げ茶色の瞳が大きく見開かれる。
「桔梗さんが、好き」
一度吐き出した気持ちは止まることができずに、私はただただ想いを伝え続ける。
「何を、言って……」
私の止まらない涙に桔梗さんが強張った表情を向けた。
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