好きな人は策士な上司(『好きな人はご近所上司』スピンオフ)
『桔梗さ、ん』
『転びそうになるなんてお前らしくないな、どうした?』
いつものからかうような口調とは一転して、真剣に心配そうな表情を浮かべる桔梗さん。
ドクンッ。鼓動が大きな音をたてる。
回された手が触れている腰が熱い。
眼前にはストライプのワイシャツに光沢のある焦げ茶色のネクタイ。ワイシャツ越しに感じる高い体温と細身なのに引き締まった硬い胸。身長百六十センチメートルの私よりも身体が大きく、大人の男性だということを改めて認識する。
ドキンドキンドキン……。焦げ茶色の瞳から目が逸らせない。
どうしていつもみたいにからかわないのだろう。どうしてこんなに心配そうな表情をするのだろう。
『……すみません……』
慌てる私に桔梗さんはクッと喉をならして笑う。
『落ち着けって』
そう言ってゆっくり私の身体を抱えたまま椅子に座らせる。まるで壊れもののようにそうっと。それから私の頭をさらりと撫でた。
『怪我はしていないみたいだな』
ふうっと安堵したような声を漏らす桔梗さん。
『あら、莉歩ちゃん。瀬尾さんの言う通りね』
一部始終を見ていた金子さんがふふっと笑う。瞬時に火がついたように私の頰がボボッと赤く染まる。自分の失態に泣きそうだ。パクパクと口を動かすけれど言葉にならない。
『……お前、男に免疫なさすぎだろ』
耳元に薄い唇を寄せて、甘さの滲んだ低温で桔梗さんが囁く。
ぞくりと肌が粟立つ。焦って俯く私に相変わらずクックッと楽し気に笑う桔梗さん。
『し、失礼です!』
『はいはい、悪かったよ』
悪びれも狼狽えもせず、さっさと検印を始めている悪い上司。
『私、今日、来客予定があるんですよ?』
唇を嚙み締めて悔し紛れに言ってみたら。
『一時半からだろ。まだ時間に余裕あるぞ?』
間接的に肯定されて、私は言葉を失った。

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