好きな人は策士な上司(『好きな人はご近所上司』スピンオフ)
結局、何ひとつ尚樹さんからは本音と真実を聞き出せないまま、いつものように他愛のない話をして、電話を切った。
座り込んだフローリングの床にぽたりとこらえていた涙が静かに落ちた。
「……ふっ、うぅ……」
泣きたいわけじゃない。泣いたって何も変わらないし、そもそもどうして泣いているのかわからない。なのに、涙は止まらずに溢れだす。キリキリ痛む胸を押さえて、ひたすら考える。
私はこれから先どうしたらいいのか、どうしたいのか。
このまま、ずっと尚樹さんに守られて、いつか来る彼と離れる日を待つのか。やり遂げる自信のない遠距離恋愛を覚悟するのか。それとも峰岸さんが示してくれた道を進んで、自ら彼を追う道を選ぶのか。
選択肢は目の前にたくさん広がっている。どれを選択しても今までのように穏やかで落ち着いた日には戻れない。
少し変わるか、住む場所も環境も何もかも変わるかその違いだけだ。
そんなことを悩むなんて就職した時は、考えもしなかった。ただ穏やかにこの地でずっと生きていくのだと漠然と思っていた。
恋をするのに、自分の生活基盤が変化するなんて考えたことはなかった。過去に彼氏という存在が出来ても、私は私だと思っていた。私の生き方や生活スタイル、考え方、そんな根本は覆らないと当たり前に考えていた。
だけど、この恋は違った。
尚樹さんはそんな私の考えを易々と飛び越えて、私の生活を侵食した。一緒に生きていくこと、毎日を過ごすことの幸せを嫌と言うほど私に教えこんた。
恋は、自分のすべてをかけてしまいたくなるもの、相手のすべてを知って、欲しくなってしまうものなのだと、時にとても貪欲なものなのだということを初めて知った。
あなたを追いかけたい、そう素直に彼に言えたらどんなに楽だろう。
そう伝えたら、彼は何て答えるのだろう。

< 132 / 163 >

この作品をシェア

pagetop