好きな人は策士な上司(『好きな人はご近所上司』スピンオフ)
「峰岸、何の話?」
突然割って入った声にギョッとして入り口を見た。応接室の開いたドアの入り口に久住部長が立っていた。
ただ立っているだけなのにその存在感に圧倒される。
「い、いきなり話しかけないでください!」
叫ぶ峰岸さんにニコニコと微笑む久住部長。
「はいはい。君が藤井さん?」
久住部長は峰岸さんを軽くいなす。私は慌てて立ち上がって頭を下げる。
「藤井莉歩です。よろしくお願いします!」
「営業統括部の久住です。よろしくね」
ふわりと笑みを浮かべ、緊張する私に席をすすめて、部長は峰岸さんの隣に座る。
「久住さん! 私は彼女と打合せを……」
嚙みつくように言う峰岸さん。
「試験と面談の打合せだろ? 俺が試験官でもあるんだから、同席するよ。藤井さんはどうして職種変更を希望しているの?」
峰岸さんをたやすくやりこめる久住さんに驚く。
「志望動機は記載して送ってます!」
峰岸さんがなおも言いつのる。
「建前じゃなくて、本音が聞きたいの」
完全にくだけた口調で話すふたりに圧倒される。
久住さんの眼鏡の奥の綺麗な目には面白がるような光が滲む。近寄りがたいほどの威圧感が消えて、ほんの少し私は安堵する。
「今の自分から変わりたいんです。追いかけたい人が、いるんです。その人に追い付きたいんです」
これが本当の私の気持ちだ。
尚樹さんに守ってもらうだけではなく、いつかその隣に並べるように、大変な毎日を過ごす彼を少しでも手伝えるようになりたい。
私と彼との間の距離はとても大きい。その距離を少しでも縮めることができるように、彼を追いかけたい。
久住部長の綺麗な目を真っ直ぐに見つめて答える。きっと志望動機としては正しくない。完全なる私情だし甘ったれている。もっと上手く立ち回る方法だってあるだろう。だけど、これが私の原点だから、その思いを伝えたい。
「へえ、桔梗は幸せ者だね」
揶揄するでもなく穏やかに言われた言葉に一瞬照れて、ハッとする。
「え?」
「桔梗の彼女は峰岸の評価通りだな」
言われた意味が一瞬わからず、瞬きをする。
「ええっ!?」
何で知ってるの!? ちょっと待って!!
真っ赤になって、真っ青になる私を尻目に久住部長は笑って、峰岸さんは諦めたような表情を浮かべた。
頭に浮かぶ“転勤”の二文字。
「大丈夫よ。久住さんは桔梗くんの元上司だから。あなたたちのこと他言しないし、そのせいでの転勤もないわよ」
峰岸さんに呆れたような視線を向けられ、久住さんはいたずらっぽく私を見つめて頷く。
そうして、私の職種変更への扉は開いた。
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