好きな人は策士な上司(『好きな人はご近所上司』スピンオフ)
「お前の様子が最近おかしかったのはこれか……」
はあ、と深い息を吐く声が聞こえる。
「何でお前はそうなの? いつになったら俺にちゃんと話してくれるようになる? 俺はそんなに頼りにならない……?お前にとっての俺って何なんだよ……? もう、いいよ」
怒りではなく、悲痛さえ感じる刃のような声が胸に刺さった。
「ちがっ……!」
悲鳴のように叫んだ声は途中で遮られた。
「……研修お疲れ様、じゃあな」
ツー、ツー、ツー。
聞こえる音に、一方的に電話が切られたことを悟る。スマートフォンを握る手をのろのろと下ろす。だらんと下げた指に力が入らずにカシャン、とフローリングの床にスマートフォンが落ちた。
……どうしよう。怒らせた、尚樹さんを。
こんな風に話すつもりじゃなかった、隠すつもりじゃなかった。研修が終わったらきちんと話そうと、私の気持ちを伝えようと思っていたのに。重荷になりたくないから、負担になりたくないから、私も自立したいから。伝えたい気持ちがあった。
なのに、タイミングを間違えた。
どうしよう、どうしたらいい? 尚樹さんに何て言えばいい? 謝りたい、話したい、わかってもらいたい。このまま、私に呆れて嫌われてしまったら、もう私を必要としてもらえなかったらどうしたらいい?
ぐるぐると同じ考えばかりが頭を回る。
もう、いいって言われた。それはどういう意味? 
立っていられないほどの恐怖と後悔が押し寄せる。
ぽたぽたと丸い染みが床に落ちる。
「……ひっく……ふっ……」
両手で口を押さえても抑えきれない嗚咽がもれる。泣く資格なんてない。いつまでも隠せることじゃなかったのに隠していた私が悪い。峰岸さんにも早く話すように言われていたのに、ずるずる先延ばしにしたのは私。
「尚樹さん……っ」
近付きたかったはずなのに、どんどん遠くなる。
散々過去に間違えてきたのに、どうして学習しないのか。好きなのに、傍にいたいのに、ただそれだけなのに上手に出来ない。こんな私じゃ愛想をつかされて当然だ。
止まりそうにない涙をイラ立たしげに拭う。泣いたって仕方ないのに泣くしか出来ない私は何て無力なんだろう。
大好きな人を悲しませた、怒らせた。あんな声は初めて聞いた。
もう傍にはいられないかもしれない。
嫌われたかもしれない。
だとしたら、何のために私は今ここにいるのだろう。何を守るためにいるのだろう。

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