好きな人は策士な上司(『好きな人はご近所上司』スピンオフ)
いつも通りの月末がやってきて、私はバタバタと業務をこなす。
尚樹さんはあれ以来出張はせず、電話応対や支店長と河田さん、峰岸さんと会議室にいる姿をよく見かけた。尚樹さんが七月に転勤すると聞かされたあの日から何も詳しい話は聞いていない。内示がまだ出ていないのかもしれない、と思って私から尋ねることは控えていた。
私自身もまだ異動先がわからないのだから。峰岸さんに、職種変更が合格したら転勤になると説明を受けたばかりだ。
……今週末に尋ねてみよう。
卓上カレンダーを見つめて月末の業務に集中した。
翌日、七月最初の朝礼で、閉店後に一階フロアで勉強会があると河田さんが言った。頭の片隅にメモをして、ルーティンワークに戻る。
二階の窓から見える空はどこまでも澄んだ青色をしていた。
閉店後、皆がぞろぞろと一階フロアに移動し始める。私もそれに続こうと二階の営業フロアの一番奥にある階段に向かった時、尚樹さんに呼び止められた。
「藤井は残って」
電話番のために勉強会の時、残ることもあったので私は違和感なく従う。皆が一斉に離席した今、フロアには尚樹さんと私しかおらず、さっきまでの喧騒が嘘のようだった。無人の机がいくつも目の前に並んでいる。自席に戻ろうとする私の前で、尚樹さんが不意に立ち上がった。
「莉歩、結婚しよう」
焦げ茶色の瞳に真剣な光を宿らせて、尚樹さんが言う。時間が止まった気がした。
「莉歩、愛してる。俺の奥さんになってくれませんか?」
……何を言っているの? 結婚? 奥さん?
頭が真っ白になった私に、彼は間違えようのない言葉を紡いだ。彼がギュッと私の手を握る。伝わる体温、伝わる鼓動。
ドクンドクンドクン、心臓がこれ以上ないくらいに早鐘を刻む。握られた手が微かに震える。
「……う、そ……」
喉から絞り出せた声はこれだけだった。
「だから何でお前は驚いたら、嘘なんだよ?」
ブハッと尚樹さんが見惚れるほどの笑顔を私に向ける。私の足から力が抜ける。
「冗談でプロポーズなんてしない。俺の人生、最初で最後のプロポーズだから」
本気なの? 本当に?
それが限界だった。涙で大好きな人の姿が歪む。
「莉歩、返事は?」
瞠目して立ちすくむ私に焦れたように尚樹さんが尋ねる。
「ほ、本当に私でいいの?」
思わず確かめる。
「莉歩がいい、莉歩しかいらないんだ」
私の不安を払拭するかのように彼はきっぱりと言い切る。
「は、い。よろしくお願いします……!」
掠れた声で必死に返事をする。
尚樹さんと私の席の間の通路で、破顔した尚樹さんがギュッと私を抱きしめた。胸に温かいものが込み上げて声にならない。
尚樹さんはあれ以来出張はせず、電話応対や支店長と河田さん、峰岸さんと会議室にいる姿をよく見かけた。尚樹さんが七月に転勤すると聞かされたあの日から何も詳しい話は聞いていない。内示がまだ出ていないのかもしれない、と思って私から尋ねることは控えていた。
私自身もまだ異動先がわからないのだから。峰岸さんに、職種変更が合格したら転勤になると説明を受けたばかりだ。
……今週末に尋ねてみよう。
卓上カレンダーを見つめて月末の業務に集中した。
翌日、七月最初の朝礼で、閉店後に一階フロアで勉強会があると河田さんが言った。頭の片隅にメモをして、ルーティンワークに戻る。
二階の窓から見える空はどこまでも澄んだ青色をしていた。
閉店後、皆がぞろぞろと一階フロアに移動し始める。私もそれに続こうと二階の営業フロアの一番奥にある階段に向かった時、尚樹さんに呼び止められた。
「藤井は残って」
電話番のために勉強会の時、残ることもあったので私は違和感なく従う。皆が一斉に離席した今、フロアには尚樹さんと私しかおらず、さっきまでの喧騒が嘘のようだった。無人の机がいくつも目の前に並んでいる。自席に戻ろうとする私の前で、尚樹さんが不意に立ち上がった。
「莉歩、結婚しよう」
焦げ茶色の瞳に真剣な光を宿らせて、尚樹さんが言う。時間が止まった気がした。
「莉歩、愛してる。俺の奥さんになってくれませんか?」
……何を言っているの? 結婚? 奥さん?
頭が真っ白になった私に、彼は間違えようのない言葉を紡いだ。彼がギュッと私の手を握る。伝わる体温、伝わる鼓動。
ドクンドクンドクン、心臓がこれ以上ないくらいに早鐘を刻む。握られた手が微かに震える。
「……う、そ……」
喉から絞り出せた声はこれだけだった。
「だから何でお前は驚いたら、嘘なんだよ?」
ブハッと尚樹さんが見惚れるほどの笑顔を私に向ける。私の足から力が抜ける。
「冗談でプロポーズなんてしない。俺の人生、最初で最後のプロポーズだから」
本気なの? 本当に?
それが限界だった。涙で大好きな人の姿が歪む。
「莉歩、返事は?」
瞠目して立ちすくむ私に焦れたように尚樹さんが尋ねる。
「ほ、本当に私でいいの?」
思わず確かめる。
「莉歩がいい、莉歩しかいらないんだ」
私の不安を払拭するかのように彼はきっぱりと言い切る。
「は、い。よろしくお願いします……!」
掠れた声で必死に返事をする。
尚樹さんと私の席の間の通路で、破顔した尚樹さんがギュッと私を抱きしめた。胸に温かいものが込み上げて声にならない。