好きな人は策士な上司(『好きな人はご近所上司』スピンオフ)
桔梗さんの姿が見えなくなった後、私は茫然とその場に佇んでいた。あんな桔梗さんの声は初めて聞く。物腰はあんなにも柔らかいのに、完全に人を拒絶する硬質で氷のように冷たい声。
……魅力的な笑顔のはずなのに、温かさを全く感じない。普段、支店の中で女性たちと軽口を叩いている姿からは考えられない。
……どっちが本物、なんだろう。
剥き出しの肌がぶる、と震える。寒いわけでもないのに、指先が冷たい。
ツキリ、小さく感じる傷み。それはどこが傷んでいるのかわからない微かな痛み。まだ今なら見過ごせる、突き詰めたくない痛み。
『藤井?』
聞き慣れた声に名前を呼ばれて、ハッと我に返った。
『やっぱり藤井。何してるんだ? 帰らないのか?』
営業バッグを持った瀬尾さんが傍らに立っていた。
『……瀬尾さん、お疲れ様です』
いつも通りの挨拶を返す。
『ああ……何かあったのか?』
瀬尾さんの端正な顔が心配そうに歪む。私は一瞬だけ下を向く。
何かあった、なんて、何が自分に起こったのか自分自身が一番わからないのに。
でもそれは心配してくれている瀬尾さんに言うべきではない。一瞬で笑顔を張りつけて、顔を上げる。
『……何もないですよ。信号待ちしていただけです。お先に失礼します』
頭を軽く下げて私は瀬尾さんの前から離れた。
……魅力的な笑顔のはずなのに、温かさを全く感じない。普段、支店の中で女性たちと軽口を叩いている姿からは考えられない。
……どっちが本物、なんだろう。
剥き出しの肌がぶる、と震える。寒いわけでもないのに、指先が冷たい。
ツキリ、小さく感じる傷み。それはどこが傷んでいるのかわからない微かな痛み。まだ今なら見過ごせる、突き詰めたくない痛み。
『藤井?』
聞き慣れた声に名前を呼ばれて、ハッと我に返った。
『やっぱり藤井。何してるんだ? 帰らないのか?』
営業バッグを持った瀬尾さんが傍らに立っていた。
『……瀬尾さん、お疲れ様です』
いつも通りの挨拶を返す。
『ああ……何かあったのか?』
瀬尾さんの端正な顔が心配そうに歪む。私は一瞬だけ下を向く。
何かあった、なんて、何が自分に起こったのか自分自身が一番わからないのに。
でもそれは心配してくれている瀬尾さんに言うべきではない。一瞬で笑顔を張りつけて、顔を上げる。
『……何もないですよ。信号待ちしていただけです。お先に失礼します』
頭を軽く下げて私は瀬尾さんの前から離れた。