好きな人は策士な上司(『好きな人はご近所上司』スピンオフ)
「こちらとでは気温差がありますから、気を付けてくださいね。忘れ物はないですか? 前回はスマートフォンの充電器を忘れたって言ってましたよね?」
不意に浮かんだ寂しさに気づかれてしまう前に、私は普段の口調を取り戻す。
寂しさ、なんて数年感じたことのない感情に狼狽えているせいかもしれない。
『大丈夫! あれは参ったわ。コンビニも運悪く売り切れだし、朝一番で携帯ショップに行ったな』
いつものように明るく返事をしてくれる桔梗さん。
『色々気にかけてくれて、ありがとう藤井。助かる』
それからおやすみの挨拶を交わして電話を切った。切れたスマートフォンを手にしながら、考えてしまうことは自身の反応の可愛げのなさ。
あんなにも母親みたい、と言われたくないと思ってきたのに。結局は同じようにしかできない。
これが私なんだから、と自信をもてるほど強くもない。もっと可愛く話せたら。もっと素直に話せたら。
幾度となくそう思う。
桔梗さんは少年のように真っ直ぐに気持ちを表現してくれる時もあれば、驚くほど大人な一面を見せてくれる時もある。普段の支店にいる時とは違うプライベートな桔梗さんをきちんと私に見せてくれる。それが、私に付き合っているという現実感をもたせる。だけど私はそんな切り替えすら上手くできない。気持ちを素直に表現することもできない。結局普段、支店でいる時の自分と大差ない自分でしかいられない。
そんな私に、桔梗さんは何も言わない。

彼氏になった人の過去なんて今まで考えたことはなかった。過去の交際相手なんて関係ないと思っていた。単純に興味がなかった。過去の交際相手が何の影響を及ぼすのか、ありえない、と本気で思っていたから。
それがどんなに呆れた考えだったのかを桔梗さんと今、一緒にいる時間の中で思うようになった。
彼が今まで過去の時間を共に過ごしてきた人はきっと素敵な人だっただろうから。
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