好きな人は策士な上司(『好きな人はご近所上司』スピンオフ)
『皆川さんが来客で遅れるから、ミーティング、先に始めるぞ』

午後五時前。窓口営業時間が終了して、皆が残務を片付け始める。私もお客様への発送用の手紙を作成していた。
札幌支店は一階が預金窓口で二階が融資外為、応接室、会議室等がある。二階には融資外為の窓口はあるけれど、来店されるお客様が比較的限られているので一階よりは人の出入りは少ない。
私の席は二階の来店窓口のすぐ傍で、真向かいにはパートスタッフさんである金子さんの席がある。私の左隣の空席は七月に赴任してくる事務職の女性の席だ。桔梗さんの席は私の真後ろ、瀬尾さんの席の隣だ。私の席のずっと奥には支店長や皆川さん、営業係の席がある。

『先に始めていいんですか?』
プロジェクト用のファイルを取り出し、急ぎの残務をパートスタッフさんにお願いして、桔梗さんの後ろを歩く。
『よくはないな』
形のいい眉をひそめる桔梗さん。美麗な顔立ちの人はどんな表情でも絵になる。
『それじゃ、皆川さんが来られるまで待ちましょう』
『違う、藤井が俺の後ろを歩いていることがよくないの』
一瞬言われた台詞の意味がわからなかった。
『はあ?』
何を言っているの、この人。
『隣、歩いて』
思わず見惚れそうになるくらいの綺麗な笑顔。
『よくわからないのですが、何のために?』
『会話しやすいだろ。藤井は俺の部下だし、仲良くなれた方がいいだろ?』
口元は優美に笑っているのに目は真剣だ。
『な、仲良く?』
よくわからないまま隣を歩く。斜め右横から降り注ぐ桔梗さんの視線が痛くて俯く。長い睫毛を伏せて私を見下ろしているはず。
会議室のドアを開けてくれた桔梗さんに促されて、おずおずと室内に入る。コの字型に並べられた机の、出入り口に一番近い場所に桔梗さんと隣同士に座る。事前に皆川さんから指示を受けていた新しい資料を取り出して席に置く。
『あの、ほかに準備することはありますか?』
『特にないよ。皆川さんが来るまでは今後のスケジュール確認くらい?』
しれっと疑問形で返される。
『ちょ、ちょっと待ってください! それじゃ急いで会議室に来る必要はなかったんじゃ……!?』
『そうだね』
完璧な笑顔で返事をする桔梗さんに啞然とする。
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