好きな人は策士な上司(『好きな人はご近所上司』スピンオフ)
「だって、わからないから」
菜々に言われたことが胸に突き刺さる。
「何が?」
駅前の百貨店に入った途端、外気とは明らかに違う暖気に包まれる。冷えていた手足がふわっと暖かくなる。菜々が手袋を外してバッグに入れた。
「自分の気持ち。桔梗さんのことは嫌いじゃないの。むしろ尊敬している。私の話をいつも根気強く聞いてくれるし、覚えていてくれる。仕事だってできる人だし」
それに、と小さな声で付け加える。
「何よ、そんなに真っ赤な顔して」
怪訝な表情を見せる菜々。指摘され、反射的に頰に手を触れる。触れた指先が熱い。
「……触れられると、ドキドキするし、嬉しいの。話したいことがあるはずなのに、そっちにいっぱいいっぱいになっちゃって頭が真っ白になっちゃって、まわらなくなるの!」
恥ずかしさをこらえながら一気に言う。
「ふうん、もう少しね」
そんな私に、なぜだか嬉しそうに菜々が微笑む。
「え?」
「ううん、安心したの。正直に桔梗さんに莉歩が感じたことを伝えるのは大切なことよ。何事も口にしなきゃわからないんだから。あれだけ見目麗しくて、仕事もできて性格も良くて独身でしょ? 狙ってる女子は数え切れないと思うわよ」
菜々の言葉に、いつかの桔梗さんに告白をしていた女の子をぼんやりと思い出す。その瞬間、胸がズキリと痛む。
『彼女をつくるつもりはない』
ハッキリと断っていた彼の言葉を思い出す。彼女はつくらない、そう言っていたのに。
どうして私を好きだと言ってくれたのか。特別だと言ってくれたのか。どうして彼女をつくるつもりはなかったのか。
わからないことだらけだ。
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