好きな人は策士な上司(『好きな人はご近所上司』スピンオフ)
残念なことに日曜は札幌の天気が荒れていた。
欠航、とまでは行かないけれど遅延が相次いでいた。
気温も冷え込み、桔梗さんが無事に帰れるか心配だった。何度もテレビやネットで情報を確認する。

午後八時半。
マンションエントランスの呼出し音が響く。液晶モニターに予定よりも飛行機も電車も遅延し、疲れた顔をした桔梗さんの姿が映っていた。
ドキン……! 
ソワソワしっぱなしの心臓が跳ねた。オートロックの解除ボタンを押し、慌てて玄関の扉を開ける。
ドキンドキンドキン! 
ひとりでに走り出す鼓動。しばらくするとエレベーターを降りて、廊下を長い足で歩く桔梗さんが見えた。傘から微かに落ちる雪。濡れたキャリーバッグ。疲れているはずなのに足取りはしっかりしていて、端正な顔立ちは私の姿を認めて優しい微笑みに変わる。
「桔梗さん!」
思ったよりも大きな声が出た。
「藤井!」
スニーカーを履いて、思わず走り出した私を桔梗さんは焦って受け止めた。
「お前、何で部屋から出てくるの。無用心だし寒いから!」
なぜかしかめっ面をされてしまう。
「ええっ? 室内廊下ですよ? 大丈夫ですっ! あ、あのっ、お帰りなさい。疲れているのに来てくださってありがとうござい」
ます、が言えなかった。桔梗さんは私の腕を引っ張って、玄関に押し込んで私をギュウッと抱きしめた。トクン、と響いた音は私の鼓動なのかわからない。
「ただいま、藤井」
久しぶりに直接聞く低音。頰に当たる雪混じりの冷たい上着。桔梗さんがここにいることを実感して、胸がいっぱいになる。
ただ嬉しかった。会えたこと、帰ってきてくれたこと。
ただそれだけで本当に嬉しかった。
「お帰りなさい」
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