好きな人は策士な上司(『好きな人はご近所上司』スピンオフ)
ヒクリ、と喉が鳴る。
掴んだままの私の指に桔梗さんが小さくキスをする。色香を含んだ眼差しは逸らされない。唇の感触がくすぐったくて、熱い。
どうしてそんな目で私を見るの?
カアッと全身に回る熱。ドクン、と心臓が警戒するかのように大きな音を立てる。
「何て、な。冗談」
桔梗さんは何事もなかったかのように私の指を解放した。一瞬で戻るいつもの桔梗さんの明るい表情。
ドキンドキンドキン……! 
狂ったように心臓が早鐘を打つ。掴まれていた指を隠すように胸に引き寄せる私は何を話せばいいのかわからない。ただ無様に瞬きを繰り返す。その顔を直視できない。

「尚樹くん、お水おかわりいる?」
重くなりかけた沈黙の中、明るく話しかけてくれた桜さん。桔梗さんは朗らかに桜さんと言葉を交わす。
どうしてそんなに普通でいられるの?
私は固まってしまったまま、桔梗さんに言われた言葉の意味を必死で考える。
私、何か間違えた? 私の気持ち? 
付き合っているのだから嫌いなわけない。むしろ、知らない桔梗さんの姿を見る度に惹かれている。
まだきちんと私が気持ちを伝えていないから?
私は今、彼女なのに。もう彼女になっているのに。どうしてそんな切ない目で私を見るの? 
どうして今さら好きだ、なんて言うの? 
もうそんな言葉、必要ないはずなのに。

約束した。
桔梗さんをもっと好きになったら伝えると約束した。だけどその基準が私にはまだわからない。
私の気持ちなんて桔梗さんはきっと気づいている。私は桔梗さんの傍にいたいと思う。
声が聞きたい、会いたい、そう思う。でもこの想いが桔梗さんが私に求める好き、なのか自信がない。桔梗さんが私に何を求めているのかわからない。桔梗さんが口にしてくれる“好き”が、私の胸に降り積もってきている“好き”と同じものなのかわからない。
私に向けられる笑顔と桜さんや周囲のその他大勢の女の子に向けられる笑顔は違う? 
私が桔梗さんに向ける“好き”は桔梗さんが皆に向ける“好き”とは違う。
私の想いはきっともっと重い。そんなこと、恐くて言えない。恐くて聞けない。今の関係を壊したくない。
桔梗さんが望んでいるのはそんな重たいものじゃないかもしれない。今みたいに、スルリとコーヒーを飲みながら言えるくらいの、そんな軽いものを望んでるかもしれないから。
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