好きな人は策士な上司(『好きな人はご近所上司』スピンオフ)
仕事が終わった午後七時過ぎ。
急ぎ足で支店を後にする。桔梗さんと峰岸さんはまだ店内に残っていた。誰に見られるかもわからないし、支店周辺で渡してしまうわけにはいかない。約束はしていないけれど、桔梗さんが帰宅する時間まで円山公園駅で待っていたい。待ち伏せみたいでおかしいかもしれないけれど。
気持ちが急いて焦る。
地下歩行空間の私の前を歩く女性たちを足早に追い抜いた時、聞こえてきた話に私の足が止まった。
「え、三奈! じゃあ、桔梗さんにチョコを渡せたの?」
「うん。昼休みにもう一回告白して、彼女がいないなら受け取ってくださいってお願いしたの。結果は去年と同じだったけど、チョコは受け取ってくれた」
嬉しそうな声が響く。
「そっか、頑張ったんだね。やっぱり彼女はいないんだ? あんなにイケメンなのに」
不思議そうに尋ねる、もうひとりの女性。
「うん、ふられたけどありがとうって言ってもらえてすごく嬉しかった! 私のことも覚えていてくれたみたいだし。もう少し頑張って好きでいようかなぁ……」
小さく呟く女性に、応援するよ、ともうひとりの女性の声がする。追い抜いたはずのふたりに追い抜かれる。
いつのまにか私の足は縫い付けられたように止まっていた。周囲の音が消えていく。「チョコを渡した」と話す女性の華奢な後ろ姿に見覚えがあった。去年、支店の前で桔梗さんに告白していた女性だった。
チョコを、渡した? 彼女がいないなら、受け取る? 彼女がいない?
ああ、やっぱり。私は本物の彼女、じゃなかった。
チョコを入れたバッグが急にずっしりと重くなる。のろのろと歩き出した私は改札前で定期券を取り出そうとする。なのに、一向に掴めない。指が小さく震えていることに気づく。ギュッともう片方の手で指を包む。信じられないくらいに冷えた指先は痛いくらい。ポケットに入れたカイロを掴むことさえできない。
そこから先はぼんやりとした記憶しかない。
何とか手にした定期券で改札を抜けて、電車に乗って円山公園駅で降車した。
どれくらいの時間が過ぎていたのかもわからない。気がつけば自宅のあるマンションの前にいた。何度かバッグの中でスマートフォンが震えている気がしたけれど、手に取る気力がなかった。特に今日は誰かと会う約束をしていたわけじゃない。
自宅に戻り、震える手で内側から鍵を掛けた私は玄関先で泣き崩れた。
急ぎ足で支店を後にする。桔梗さんと峰岸さんはまだ店内に残っていた。誰に見られるかもわからないし、支店周辺で渡してしまうわけにはいかない。約束はしていないけれど、桔梗さんが帰宅する時間まで円山公園駅で待っていたい。待ち伏せみたいでおかしいかもしれないけれど。
気持ちが急いて焦る。
地下歩行空間の私の前を歩く女性たちを足早に追い抜いた時、聞こえてきた話に私の足が止まった。
「え、三奈! じゃあ、桔梗さんにチョコを渡せたの?」
「うん。昼休みにもう一回告白して、彼女がいないなら受け取ってくださいってお願いしたの。結果は去年と同じだったけど、チョコは受け取ってくれた」
嬉しそうな声が響く。
「そっか、頑張ったんだね。やっぱり彼女はいないんだ? あんなにイケメンなのに」
不思議そうに尋ねる、もうひとりの女性。
「うん、ふられたけどありがとうって言ってもらえてすごく嬉しかった! 私のことも覚えていてくれたみたいだし。もう少し頑張って好きでいようかなぁ……」
小さく呟く女性に、応援するよ、ともうひとりの女性の声がする。追い抜いたはずのふたりに追い抜かれる。
いつのまにか私の足は縫い付けられたように止まっていた。周囲の音が消えていく。「チョコを渡した」と話す女性の華奢な後ろ姿に見覚えがあった。去年、支店の前で桔梗さんに告白していた女性だった。
チョコを、渡した? 彼女がいないなら、受け取る? 彼女がいない?
ああ、やっぱり。私は本物の彼女、じゃなかった。
チョコを入れたバッグが急にずっしりと重くなる。のろのろと歩き出した私は改札前で定期券を取り出そうとする。なのに、一向に掴めない。指が小さく震えていることに気づく。ギュッともう片方の手で指を包む。信じられないくらいに冷えた指先は痛いくらい。ポケットに入れたカイロを掴むことさえできない。
そこから先はぼんやりとした記憶しかない。
何とか手にした定期券で改札を抜けて、電車に乗って円山公園駅で降車した。
どれくらいの時間が過ぎていたのかもわからない。気がつけば自宅のあるマンションの前にいた。何度かバッグの中でスマートフォンが震えている気がしたけれど、手に取る気力がなかった。特に今日は誰かと会う約束をしていたわけじゃない。
自宅に戻り、震える手で内側から鍵を掛けた私は玄関先で泣き崩れた。