好きな人は策士な上司(『好きな人はご近所上司』スピンオフ)
「何て、な。ごめん、不安にさせた? 泣かせてごめん」
私の肩にコトン、と頭を乗せる桔梗さん。さらさらの髪が頰に触れる。
ごめん、なんて言う必要はないのに。だって本当は、違う。本当に聞きたかったことはそんなことじゃない。本当にあなたに伝えたい私の気持ちはそんなことじゃない。
だけど今は言えない。言ったらあなたは離れてしまう。こんな風に私を特別扱いしてくれない。こんな風に抱きしめてくれない。
「俺は藤井が好きだよ」
肩越しに伝わる声。トクン、と鳴った私の鼓動。私の左耳のピアスに小さくキスをする。一気に熱をもつ耳。ピクンと身体が震える。私を腕の中に閉じ込めた桔梗さんの表情は見えない。
私はあなたみたいに簡単に本心を口には出せない。
私の気持ちはもっと重たいから。私はもっと面倒だから。あなたを独占したいと思ってしまうから。
「……俺を嫌いになったのかと思った」
彼には似合わない弱々しい声。
「それだけは耐えられない。俺はお前を逃がさない」
まるで自分に言い聞かせるかのように話す彼の様子に胸が震える。
私があなたを嫌いになる、なんて。そんなこと、あるわけがないのに。どうしてそんな言い方をするの。私はあなたの本物の彼女、じゃないのに。
「泣かせたくないのに、お前が俺のために泣いてくれたのが嬉しい。ごめんな、来年からは貰わない」
「ら、来年?」
思わず漏れた声。桔梗さんがゆっくり私と目を合わせる。纏う色香が私の鼓動を跳ね上げる。
「そう、来年。何で驚く?」
当たり前のように桔梗さんが答える。
来年ってそんな長い時間、私といてくれるつもりなの?
「だから来年は俺にチョコをちょうだい」
妖艶に微笑んで桔梗さんは私をもう一度腕に閉じ込めた。私は桔梗さんの腕のなかで小さく頷く。
きっと叶わない、そう思いながら。
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