あけぞらのつき
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古いドレッサーの前で遠野にドライヤーを当てられながら、ミサキはうつらうつらと目を閉じた。
昔、遠野の姉が使っていたというそのドレッサーは、艶やかに磨き込まれ、ミサキが半目で舟をこぐ様子を映し出していた。
風呂上がりの洗い髪そのままに、布団に入ろうとするミサキの髪を乾かすのは、遠野の日課となりつつあった。
「まだ、眠るんじゃない」
遠野は後ろからミサキの頬をつねった。
ミサキはうるさそうに目を開き、仰け反るように遠野を見上げた。
「今日のやることは、全部終わらせただろ。あとは、わたしの時間だ」
「もう少し、付き合え。縁切り榎木のことを聞かせてもらいたい」
「縁切り?人間は鬼だな。アイツにそんなアダナを付けたのか」
「アダナ?」
「ああ。縁が切れたのは偶然だろうよ。アイツが何かをしたとは思えない。だって、ただの木だぜ?」
「そういえば、ミサキの守護者は樹精と言っていたな」
遠野は乾かした黒髪を、櫛で整えた。
いつもは白磁のように冷たい肌は、風呂上がりでピンク色に上気している。
紅をささなくても赤い唇に、凛とした目元。
それは時折、心の奥まで見透かそうとするように、きらっと輝いた。
ただ、今は眠そうに、とろんと半目を閉じている。
「アキはクチナシの樹精だ。ハスミより長く生きているらしい。きっと、わたしが死んでも、アキは生き続けるんだろうな」
樹精とはそういうものだと、ミサキは理解していた。
注連縄の張られた禁域の、更に奥深い山の中で、ミサキを育てたのは、白いクチナシの樹精だ。
ミサキはいつもアキと一緒だった。
わたしが死んだら、アキはどうなるんだろう。と、ミサキは思う。
「全ての木が、樹精になれるわけではないよ。もしそうだとしたら、山はもっと賑やかだ」
「ミサキは、縁切り榎木は樹精ではないと?」
「ああ。樹精になるには、ケガレすぎている。縄の巻かれた方はそうでもないが、もう一本のアイツはダメだ」