あけぞらのつき
「御曹司。どうかしたのか?」
「わかりません。タカユキの様子が……」
「タカユキ?例の神隠しの子供か」
取り押さえろ!とハスミが叫ぶより一瞬早く、遠野の手をくぐり抜けるようにタカユキは軽やかに身を翻し、眠るミサキを見下ろした。
「アキ!!」
「白梔」
タカユキが唇を歪めて笑った。
「また主人を裏切るのか。違うな。今までもずっと裏切り続けてたろう。その少女の前で善人ぶって、主様などと呼んだところで、お前の心にいるのは、今も長夜叉だというのに」
「黙れ!!」
「おや、言い返すのかい。純真無垢な小娘を騙すのは、それほど気持ちよかったか」
クツクツと、タカユキは喉の奥で笑う。
「アキ、しっかりしろ!耳を貸すんじゃない!」
「黙れ!何も知らないくせに。何も……知らないくせに」
「アキ!!」
ハスミは樹精の肩をつかんで、白い頬を叩いた。パシッと乾いた音が、シアターに響いた。
「おお。痛そうに」
タカユキはしかめ面を浮かべ、楽しそうな口調で言った。
「知らないのはお前だよ、白梔。茅花がどれほど、お前を信頼していたか。長夜叉がどれほど、茅花を愛していたか。いや、知っていたのか?だからお前は、長夜叉を裏切ったのだろう?積み上げた信を崩すのは、楽しかったか。だからお前はまた、この少女も裏切るのだろう?」
タカユキはアキから目を反らすことなく、眠り続けるミサキの白い喉に手をかけた。
「タカユキ……手を、離せ」
タカユキは、目だけを動かして、ゆっくりと遠野を見つめた。
「できそこないの跡取り息子か。お前は良いエサになってくれた。誉めてやろう。これで、お前も裏切り者だ」
「タカユキ!目を覚ませ。お前はそんなヤツじゃないだろう」
「臨さん」
「タカユキ」
「臨さん、信じてください。僕の意志じゃないんです」
タカユキは、にやけた笑みを浮かべながら言った。
ちぐはぐな言葉と表情に、遠野の背に冷たい汗が流れた。
「俺は信じるよ。タカユキはそんなことしないだろ。だから、ミサキから手を離すんだ」