あけぞらのつき
溺れそうに、窒息しそうに、清浄な空気を求めて伸ばした手を掴んだのは、スイだった。
いや。スイのカタチをした、何かだ。
鬼、疫、邪神。時代によって呼び名の変わる、悪意のカタマり。夢を渡る魔物。
欲しければくれてやる。スイは確かにそう言った。
それを欲しがったのは、他でもない榎依だ。
期待に応えるための力を。
そして、呼びかけた。
スイの呼びかけに応えたのが榎依だったように、榎依の呼びかけに応えたのも、小野寺仰以だけだった。
料理番の言うとおり、小野寺仰以がいなければ、榎依は夢を渡れない。
「初めてとは言え、あんな子供一人籠絡するのに、半年も。ようやく使えるようになったかと思えば、長夜叉に奪われるなんて。榎依、あなたには、がっかりしているのよ」
「……申し訳、ありません」
「これから、どうするつもり?」
料理番は、人形のような少女の、汚れた衣服を清めながら尋ねた。
「小野寺仰以のタマシイは、まだ長夜叉の手中にあるかと。たった半年とは言え、融合していた我らには、絆がございます。一度結ばれた縁は、そう簡単に途切れることはありません」
「では……」
「はい。スイ様のために……」
榎依は、下を向いたまま唇を噛んだ。
力を得たとしても、それを操る術を知らなかったのだ。
自業。
「諦めるのね」
料理番が静かな声で尋ねた。
もう少しだった。獲物は確実に追いつめていた。あとは、トドメを刺す。それだけだったはずなのに。
諦めたくは、ない。だが榎依にはもう、手段がない。
長夜叉から小野寺仰以を取り戻したとして、再び融合するまでには、また長い時間が必要となるだろう。
「諦めるのね」
料理番が、もう一度同じ言葉を口にした。
榎依は答える代わりに、深くうなづいた。