あけぞらのつき
「本当か?遠野。たばかったら、承知しないぞ!」
「俺がお前に、嘘をついたことなんて、なかろう?」
「カレーな。昨日初めて食べたが、美味かった。ムツコの作る料理は何でも好きだけど、今のところ、アレが一番だな」
「そんなに気に入ったか?」
ミサキは無言で、こくこくと頷いた。
「しょうゆ飯よりも?」
また、こくこくと頷く。
その様子に遠野は奥歯で、こみ上げてくる笑いをかみ殺し、真面目そうな表情を作った。
「でも、残念だな。ミサキはドクターストップで、しょうゆ制限だった」
ミサキの目に、大粒の涙が盛り上がった。遠野は一瞬ニヤッと笑って、廊下に走り出た。
「待て!!遠野!!」
ミサキは大声で呼ばわりながら、遠野の後を追いかけた。
ハスミにはそんな二人が微笑ましく見えてしまう。
それが、ミサキをスイから離すための、小芝居だったとしても。
***
やたらと長いテーブルの、いつもの席に腰を下ろして、ミサキは不機嫌そうにため息をついた。
蒸した野菜と焼いた卵。厚切りトーストには、ハチミツがかかっている。添えてあるスープからは、ほのかにカレーの香りがした。
角を挟んで座ったハスミは、食事に手を合わせ、口の中で経文を唱えた。
そして、手を合わせたまま横目で、お嬢と呼んだ。
「食べるのも修行の内と教えたろ?こんな大ご馳走に、お嬢は一体なにが不満か」
ミサキは白いクロスのかかったテーブルに肘を突いて、大きなスプーンでスープをくるくるかき混ぜた。
「最近のわたしは、どうも変な気がしている」
「ほう?お嬢が?」
「うん。一日は昼があって夜が来ると教わった。明けない夜はないし、沈まない太陽はない」
「栄枯盛衰だな」
夜、とミサキが言った。
あの日からミサキに「眠る」は禁句になっていた。