あけぞらのつき
その後ろ姿を見送って、ハスミは自分の席に着いた。
食べかけの食事に、もう一度手を合わせる。
「よかったな、お嬢。新しいパンをもらえるそうだ」
「わたしは、ムツコの料理を否定しているわけじゃない。この甘いパンも好きだ。でも……」
チラッとハスミの皿を見る。ハスミは、わかっていると言うように、頷いた。
「お嬢のしょうゆ好きは、今に始まったことでもない。そりゃあ四六時中、甘い芳香に包まれていれば、しょうゆも美味く感じられるだろうさ」
「甘い、芳香……?」
「ああ。禁域には、花が咲いていたろ?」
「花……」
花が三回咲いたら、ここへ帰っていらっしゃい。誰かが、そう言って笑ったような気がした。
「お嬢、食べないのか?」
ハスミの声に、ミサキはハッと我に返った。
先ほどのメイドがミサキの前に、焼きたてのパンを置いた。
皿で隠すように差し出された手には、やはり、ケロイドの傷が見えていた。
***
病院を見下ろす公園で、ミサキはブランコに揺られながら、ハスミに、なあと呼びかけた。
ハスミはミサキの背中を押しながら、どうかしたのか?と尋ねた。
「あのメイドの手。本当に大丈夫だったのか?」
ミサキは、近く遠くなる空に白藍を探して呟いた。
「お嬢はなにを見たんだ?」
「なにって、ヤケドの痕だ」
「俺には何も見えなかったが」
「でもあったんだ。大きなヤケドが。……ヤケドか?切られた傷のようにも見えた」
ブランコの柵に浅く腰掛けて二人を見ていた遠野が、立ち上がって病室の窓を指した。
「ハスミ殿は、あそこに何が見えますか?」
「ん?子供だな。具合でも悪いんだろう。点滴をされている」
「他には?」
「他?」
「あそこにいるのは、点滴をされている小野寺だけですか?」
遠野は、念を押すように尋ねた。
ハスミはミサキの背中を押すのをやめ、病室の窓に目を凝らした。
が、そこに見えるのは、眠っている小野寺仰以ただ一人だ。
ミサキは勢いを付けて、ブランコから飛び降りた。
「あそこにいるのは、死体だ。頭骨も半分見えてしまっているな。前に見た時より、腐敗しているみたいだ」