大江戸ロミオ&ジュリエット

◇仮宅の場◇


火事と喧嘩は江戸の華、と云う。

先達(せんだっ)て、吉原で火事が起こった。
(くるわ)大見世(おおみせ)の一つ、久喜萬字屋(くきまんじや)がすっかり焼け落ちてしまって、建て直す羽目になったらしい。

しばらく吉原で商いができぬため、御公儀(江戸幕府)が特別に吉原以外の土地で見世を出すことを御赦(おゆる)しになった。
これを「仮宅(かりたく)」と云うのだが、滅多にない御取り(はか)らいである。

そもそも、御公儀が認める江戸の「遊里(遊郭)」は、吉原以外にはない。

ゆえに、五街道からそれぞれ江戸に入る際の一番初めの宿場町である、品川宿(東海道)・内藤新宿(甲州道中)・板橋宿(中山道)・千住宿(日光道中・奥州道中)に公然と設けられている「岡場所」は、御公儀から認められた遊里ではない。

だから、時折「傾動(けいどう)」という手入れが行われた。捕縛された女郎たちにはその後、御公儀が認める吉原へ送られ「(やっこ)女郎」と蔑まれながら給金なしで奉公せねばならぬ罰が下った。

つまり、御公儀にとって遊里は、あくまで人里離れた場所であって、人々が行き交う町中にあっては都合が悪いものなのである。

公認の吉原にしても、もともと日本橋界隈にあった「(もと)吉原」が賑やかな町になるにつれて移ることを余儀なくされ、今の浅草裏の「新吉原」が生まれたくらいだ。

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