大江戸ロミオ&ジュリエット
志鶴が男子を産み落とすと同時に、仔細を伝える瓦版が刷り始められた。
あらかじめ、男子の場合とおなごの場合の両方を支度していたようだ。
刷り上がると早速、町家で読売が節をつけて呼び込みながら配る。往来の者たちが我れ先にと手を伸ばし、飛ぶように売れていく。
それから数日もしないうちに皐月の「武者人形」の浮世絵が売り出された。
だれがどう見ても、多聞と志鶴の子の姿だった。
顔が赤子だったからだ。
それにしても、流石に美形の父母の血を見事に受け継ぎ、凛々しくて麗しき面立ちである。
「浮世絵与力」と「北町小町」のお子が、こないにも早く生まれた。
なんと目出度きことであるまいか。
江戸中の町家の連中は、
「よっ、さすがはお江戸の浮世絵与力っ」
と、やんやの喝采だ。