大江戸ロミオ&ジュリエット

千賀は、富士の弟である南町奉行所 例繰(れいくり)方与力の進藤(しんどう) 又十蔵(またじゅうぞう)の娘であった。

ゆえに、富士とは伯母と姪、多聞とは従兄妹(いとこ)同士の間柄だ。

「例繰方」とは、御奉行の御白州(おしらす)での御裁きを書き留め、それに基づいて「御仕置裁許帳(おしおきさいきょちょう)」という判例集を作るという御役目である。

机上の御役目であるがゆえ、(ちまた)で何事が起こっても押っ取り刀で駆けつけることはない。

代々かような御役目の御家の富士であったため、町家での生き死に関わって泥臭く駆けずり回る町方役人を「不浄役人」と陰で呼んで蔑んでいた。

まさか我が身がさような家に嫁ぐことになろうとは、つゆほども思うてみなかった。

嫡男の多聞は、今は「当番方」だが、そのうち御用で捕縛された者たちを取り調べる「吟味(ぎんみ)方」になり、それから同心を束ねる「同心支配役」と呼ばれる「筆頭与力」に任ぜられ、やがては父親と同じ御役目の「年番方」に就くに相違ない。

町奉行所では出世街道まっしぐらだと、だれもが思うところなのだが、富士にとっては我が腹を痛めて産んだ子がよりにもよって「不浄役人」まっしぐらである。

ゆえに、多聞の姉の寿々乃が、御奉行の側用人(そばようにん)である「内与力」の水島 織部の御家(おいえ)に嫁いだことが、なによりの自慢であり心の拠り処でもあった。

……せめて、多聞に嫁いで参る者が「不浄役人」の御家柄でないおなごでないと。

富士はさように想い続けていたがために、ずっと千賀に目をかけてきたのだ。

なのに……嫁いで参ったのは同じ年番方の「不浄役人」である御家の者であった。


しかも。

……「北町」のおなごとは。

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