大江戸ロミオ&ジュリエット

志鶴は思わず、がばっ、と顔を上げた。

……つっ、「月の(さわ)り」ってっ。
だっ、旦那さまの前でっ。


「げっ…玄丞先生っ、とっ…殿方の御前で……
つっつっ…月の……」

富士はおなごの口から、とてもとてもその名をすべて云えなかった。


「なにを云うてござる。女房の月の障りの巡り合わせを、亭主が知らぬはずがなかろうが」

玄丞は富士を、ぎろり、と睨んだ。


そのとき、多聞が片側の口の端をちょっと上げて不敵に笑う「浮世絵与力」の顔になった。

だが、この上なく真っ赤に染まった顔を見せたくない志鶴はまた俯いてしまっていたゆえ、見ることはできなかった。


ただ、初音はしかと見ていた。

(ちまた)のおなごの心を鷲掴みにしている「浮世絵与力」の笑顔はもちろんのこと、

幼き頃よりいつも物静かで、決して心に波風を立たせぬ志鶴の、この上もなく真っ赤っかに火照(ほて)らせた顔も。

それはまるで……好いた(おのこ)の前にいるかのごとく見えた。

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