目覚めたら、社長と結婚してました
 腕を掴んだのはいうまでもなく怜二さんで、不思議に思って彼の方を見れば真剣な顔でこちらを見据えていた。

 降りない私たちに痺れを切らしてエレベーターのドアが閉まったのと、唇に柔らかい感触があったのはほぼ同時だった。目を閉じるどころか、瞬きひとつできない。

 唇が離れ、怜二さんと至近距離で目が合う。我に返って抵抗を試みようとしたところで再度、唇が重ねられた。

 次はさすがに慌てて彼から距離を取る。といってもエレベーターの中なのでうしろに一歩下がるのが精いっぱいだった。

「な、なん……」

 顔を真っ赤にして両手で口元を覆う。頭の中はパニックで目眩を起しそうだった。

「……べつに。意味はない」

 降ってきた言葉は、冷水みたいに私の体に染みた。怜二さんを見れば、しまった、という顔をしている。

 それがどういう意味でなのかまでは理解できなかったが、私は必死に頭を切り替えた。頭を沈めて喉の奥から声を必死に振り絞る。

「よかった、です。それなら今のは、なかったことにしますね」

「おい」

 さっさとエレベーターのドアを開けて、私は駆け出す。

 なし。今のはなしだ。彼の反応に救われた。

 懸命に自分に言い聞かせる。あれでよかった。意味があった方が困る。

 彼にとっては、きっと魔が差したというか、いつもの女性たちにしているように同じノリでしてしまっただけだ。その相手を間違えただけ。だから、あんな後悔にも似た表情をしたんだ。

 どうしよう。なんで私、こんなに傷ついてるの? 傷つくくらいなら怒ればいいのに。

 苦しくて、心臓が加速する。息ができない。

 外はだいぶ気温が下がっていて、肌寒い。それなのに耳と唇だけは熱がこもったように熱かった。
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