目覚めたら、社長と結婚してました
 私は扉にチョークのようなもので描かれている【Lieblings】という文字を見て、思い切ってレバーに手をかけた。

「いらっしゃい」

「こ、こんばんは」

 緊張で声がつい上擦ってしまう。マスターと思わしき人と、彼と話していた年配の男性の視線がこちらに向き、私の心臓は加速した。

 おそるおそる店内に足を進める。照明は極力落とされ、穏やかな明かりとボサノヴァ系の音楽が店内を包み、独特の空間を作り上げていた。想像していたよりも狭い。

 マスターを中心にコの字型にカウンターがあるだけ。

「めずらしいね、こんな若い子が」

 座っていた男性の発言に、場違いかなと不安になった。どう見ても年齢層は高めのお店のようだ。

「いいよ、いいよ。綺麗なお嬢さんは大歓迎だ。どうぞ座って。うちはノーチャージだから」

 マスターは目を細めて笑った。私の父と同じか、やや上くらいか。白髪交じりの髪は綺麗にまとめあげられていて、白いシャツに首元には黒いストールのようなものが掛かっている。

 紳士という言葉がぴったりの上品さがあった。

 促されるまま私はおずおずと真ん中に座る男性から右にふたつほど席を空けて座る。

「なに飲む?」

「あの、私バー自体が初めてで……お任せしてもいいですか?」

 私の告白にマスターは目を細めた。

「かまわないよ。お酒には強い? どんな味が好きかな?」

「あまり強くないのでアルコール度数は低めで、できれば甘めのものをお願いしたいです」

「了解」

 なんとか注文を終え、張り詰めていた緊張が少し和らぐ。
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