目覚めたら、社長と結婚してました
 美味しさと雰囲気に私の気分は上々だった。マスターは近藤さんというらしく、隣のお客さんは島田(しまだ)さんだと名乗ってくれた。

 ふたりとも気さくで話し上手なので私の緊張も次第にほぐれていく。そしてグラスをほとんど空けたところで近藤さんに尋ねられた。

「そういえば、さっき話してた『リープリングス』だけど、小説の方は全部持ってるの?」

「あ。いえ。途中までしか持っていないんです。続きも気になるんですが、なかなか古い作品だからか、古書店でも見つからなくて」

「そっか。俺も持ってたけど、今はちょっと手元にないんだよね」

 するとなにを思ったのか、近藤さんは顔を右に向けて、一切会話には参加してこなかった社長に声をかけた。

「怜二、お前『リープリングス』全巻持ってただろ。柚花ちゃんに貸してあげろよ」

「え!」

 私が叫んだのと、社長が本から顔を上げたのはほぼ同時だった。社長は軽く眉を寄せている。

「あ、いえ。大丈夫です」

 社長がなにかを言う前に私は手のひらをぶんぶんと振る。さっきの気まずさもあって、社長とはこれ以上、下手に関わりたくはなかった。

「でも、古書店を巡るくらい探してたんだろ?」

「ほかにもお目当ての本があったんです。だから本当に気にしないでください」

「貸してやれよ、怜二。自分のとこの社員なんだからそれくらいしてやれ」

 島田さんが近藤さんに便乗するので、私は冷や汗ものだった。おかげで、時間も時間なので話の腰を折るようにお会計をお願いする。
< 25 / 182 >

この作品をシェア

pagetop